伝説の横綱・千代の富士とあのプロレス団体の交流秘話|プチ鹿島の余計な下世話! (2/2ページ)
・しかし、2人に支度金を渡すはずが団体旗揚げ資金を使い込んだ人間がいた。結局、計画はとん挫した。
いかがだろうか。高見山と千代の富士が廃業する決意を本当にしていたかどうかはわからない。ただ話半分でユセフ・トルコの話をきくとしても、とりあえずプロレス転向を持ちかけたことは確かなよう。千代の富士はこのあと昭和55年から「ウルフフィーバー」を日本中に巻き起こす。昭和56年初場所で初優勝してから伝説が始まる。
私が子どもの頃から知っていたのは「梶原一騎の新団体構想」のほうだった。しかしそれ以前の十両時代から千代の富士がプロレス転向の話があったとは興味深い。それもこれも力士としては細くて小柄な体で、おまけに脱臼というクセを抱えていた千代の富士は将来が不安だったのだろう。
しかしプロレス流の筋トレでめきめきと体が大きくなった。体の不安がなくなった千代の富士は大横綱への道を歩むのである。大位山の「ラッシャー木村さんにもらったプッシュアップ用の板で筋トレをやったりね。あの筋トレもそのあとの相撲によかったみたいです」という言葉どおりなら、昭和の大横綱誕生のきっかけを手伝ったのはラッシャー木村だったことになる。
千代の富士に相撲にとどまるよう説得し、筋トレの仕方まで教えた「お人よしの集まり」国際プロレス。
昭和56年8月9日、国際プロレスは北海道・羅臼町での興行を最後に活動を停止した。その翌月、千代の富士は横綱として初めて場所を迎えた。光陰が交差した。ひとつの歴史のお話である。
Written by プチ鹿島
Photo by NHKスペシャル横綱 千代の富士 前人未到1045勝の記録