亡くなる3日前に「あれは俺の涅槃像だろ?」と横尾忠則に話した三島由紀夫 (2/2ページ)
しかもそれは、インドにおいて仏教よりも古くから信仰されてきたヒンドゥー教の神々と、禁教時代のキリスト教の殉教者・聖セバスチャンに扮した三島をモチーフにしており、横尾の異能・異才ぶりを遺憾なく発揮していると言えよう。
■たまたま見かけた絵が、自分の死に際が描かれているかのように感じることがあってもおかしくない
自分が三島由紀夫のように、美に関する繊細な感受性を有する「天才」で、細江英公や横尾忠則のような「天才」と出会うこと、そして「天才」同士の激しい魂の衝突によって、新たなものが生み出される瞬間に立ち合うことは、世の大半の人々には無縁の世界かもしれない。
だが、たまたまどこかで、自分の死に際を描いているように「見える」絵を見つける可能性は、十分あり得る。涅槃図は、釈迦または釈迦に見立てられた偉大な人物の死を歎き悲しむ哀調や絶望感、または「死」という堪え難いさだめを受け入れることを強いる、宗教的な荘厳さのみならず、安らぎや華やかさ、明るさをたたえてさえいる。
我々が自分なりの涅槃図を見い出した後、そこに描き出された光り輝く死に際を三島のように予感し、死に向かう自分自身を心静かに、だが激烈に、そのギリギリまで命を燃やしながら「生きる」決意表明のとすることは、意義深いことではないだろうか。
参考文献:薔薇刑―細江英公写真集、知っておきたい涅槃図絵解きガイド、涅槃図の図像学―仏陀を囲む悲哀の聖と俗 千年の展開、横尾忠則 全装幀集