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◆ 恵那 岩村に語り継がれる 「女城主」
-領内に徳政をしき、
領民に慕われた心優しい「女城主 」 その悲運の生涯
恵那の岩村には「女城主」の物語が今に伝わっています。
鎌倉期以来、遠山一族の勢力下であった東美濃の地域ですが、戦国
時代後期、城主遠山景前の頃の岩村は、武田信玄の侵攻を受けるこ
とになります。そのさなか城主景前が急死し、跡を継いだ子の遠山
景任は弟の苗木城主遠山直廉と計らい、武田軍に与(くみ)します。
他方、武田信玄と対峙する織田信長は、岩村を信濃と甲斐への重要
な戦略拠点と捉え、自らの叔母である“おつや”(名は諸説あり)を
遠山景任に嫁がせ遠山氏の抱き込みを図ります。この“おつや“こそ
が、後の「岩村の女城主」です。
元亀三年(1572年)、遠山景任・直廉兄弟が相次いで病死すると、
信長は五男の御坊丸(後の犬山城主 勝長)を跡継ぎとして養子に
送り込みましたが、八歳と幼かったため、“おつや”が城主として采
配を振るいました。“おつや”は領内に徳政をしき、領民に慕われた
心優しい「女城主」として今も語り継がれています。
同年の三方ヶ原の戦いで徳川家康を破った武田信玄は、家臣秋山信
友(虎繁)に岩村城奪取を命じましたが、“おつや”側の籠城は四ヶ月
に及び、秋山勢は “おつや”を信友の室とし、御坊丸を信友の嗣子と
することを講和の条件とし開城を求めました。“おつや”も、この先
の籠城は難しいと悟り、家臣や領民を守ることとの引き換えに城を
明け渡し信友に嫁しました。