追悼「アーノルド・パーマー」引退後の「好々爺」素顔 (2/2ページ)

アサ芸プラス

見た目はダフッていても、ボールにはしっかりとバックスピンがかけられていたことに驚いたそうです」(前出・古川氏)

 ゴルフの魅力を世界に広めるとともに、実業家としても成功を収めたパーマー。晩年は小児医療施設を支援するなど、社会貢献にも尽力。93年に渡米した前出・舩越氏はじかに接し、その温かい人柄に感銘を受けたという。

「初めてお会いしたのは96年、パーマーがホスト役を務める大会『アーノルド・パーマー招待』の練習日。『写真を撮らせてください』とお願いしたら、笑顔でポーズを取ってくれました。当時60代後半でしたが、まるで俳優のように格好よかったのを覚えています。ゴルフ場の近くで道に迷った時に、たまたま通りかかったパーマーに『どうしたんだ?』と声をかけられて、助けてもらったこともありました」

 現役選手たちにとっても、パーマーは偉大な道しるべとなった。

「『アーノルド・パーマー招待』では、大雨でコースの一部が冠水したことがあったのですが、パーマーみずから整備するために長靴を履いてジャブジャブと水たまりに入っていった後ろ姿が今でも忘れられません。表彰式では肩を叩いて勝者をたたえ、それと同じくらい敗者にも気遣いができる人で、『私だって、よく負けたもんさ』と声をかけていました。引退後も多くのゴルファーの見本であり続けました」(前出・舩越氏)

 現役時代はパーマー・チャージと言われた攻撃的なゴルフでファンを熱狂させ、引退後は好々爺として周囲の誰からも愛された。

 米ツアーでは歴代5位の通算62勝。マスターズの4勝を含め、メジャー大会では7度の栄冠に輝いた。パーマーが残した功績は、数字だけでは測れない。

「追悼「アーノルド・パーマー」引退後の「好々爺」素顔」のページです。デイリーニュースオンラインは、週刊アサヒ芸能 2016年 10/13号アーノルド・パーマーゴルフスポーツなどの最新ニュースを毎日配信しています。
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