沖縄県今帰仁村に存在する髑髏塚・百按司墓(むむじゃなばか)を調べてみた (2/2ページ)

心に残る家族葬



そして、「運天港の髑髏塚」ではこうした埋葬儀礼が、いつ頃なぜ始まったか、また与論島の例を除けば他の古墓では行われなかったのはなぜか、などということも、筆者の知る限りでは全く不明である。

■最期に…

筆者は更に、この「運天港の髑髏塚」について詳しく調べてみた。すると、この「髑髏塚」は、元々は先に述べたように「百按司墓(大勢の領主の墓、という意味)」という名であり、現在でもこの呼び名が一般的であるようだ。

「百按司墓」が具体的にどんな人物の墓だったのかについては、はっきりした記録はないが、様々な伝説がある。実際には、中世〜近世初頭の地方の支配者層の人々の墓であり、長い時代に渡って、次々と葬られていたようである。

参考文献:タブーに挑む民俗学―中山太郎土俗学エッセイ集成、 奄美・沖縄 哭きうたの民族誌

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