平安時代の鳥羽天皇が湯灌を断った理由は裸を見られることを嫌がったから? (2/2ページ)
その際には、当然亡くなった時に着ていた着物を脱がせるわけであるが、例え天皇の遺体であっても、それは決してタブーではなかった。実際、それ以前には、遺体処置を行う人々に遺体となった自分の裸を見られるのを、恥ずかしがったり嫌がったりした天皇は、筆者の知る限りでは、鳥羽法皇以外にはいなかった。
■何故嫌がったのかは不明
鳥羽法皇がなぜ、遺体となった自分の裸を見られるのを、他の天皇が何とも思わなかったにも関わらず、強く拒否したのかの理由は、記録がないので結局彼自身にしかわからない。ただ、中世の貴人たちは、自分の遺体を、着物をきちんと着た状態であっても、自分より身分の低い人々に見られることを、大変な恥であると考えていた。それとの関連も、全くないとはいえないだろう。
しかし先述したように、死後に沐浴で自分の遺体が全裸にされることは、「自分より身分の低い人々に遺体を見られる恥」には、一般に該当しなかった。
このことも念頭に置くと、鳥羽法皇が嫌がったのは、「自分の裸そのもの」を見られることだったのか、「遺体となった自分の裸」を見られることだったのかはわからない。ただこのことは、「死者の性的な尊厳」について、考えるきっかけではあるだろう。
参考文献:天皇と葬儀―日本人の死生観―