小池百合子 逆境ハネ返し「突破の女王」!!(1)難関の大学卒業を目指して (2/2ページ)
〈必ず、卒業してみせる〉
小池はそのうち、日本人留学生の中の1人の男性に魅かれた。3歳年上の彼は、アジア・アフリカ語学院を出てカイロ大学に来ていた。どちらかといえば学者タイプで、卒業後は報道の仕事をしたいと言っていた。
周りの男子留学生と同じようなたくましさを秘めながらも、柔らかな雰囲気も持っている。その柔らかさが、両親からの仕送りもなく独りで精いっぱい生き切ろうとする小池には、よりどころになった。
「きりがいいから、入籍しましょう」
彼よりも、小池がリードして入籍した。
2人の生活が始まってからほどなく、カイロ大学で学生運動が激しくなった。
エジプトの学生たちは、サダト大統領に向けて叫んだ。
「中途半端なことをしている場合ではない。戦争を起こして、早く決着をつけろ!」
日本の学生運動といえば、反戦、平和を掲げて政府に戦いを挑む。ところが、エジプトでは「早く戦争をしろ」と突き上げているのである。そんな中でも、授業は行われた。
ある時、カイロ大学のキャンパスで反政府運動をする学生たちに軍が催涙ガスを撃ち放った。一瞬にして、小池は真っ白い煙に包まれた。目から涙が流れ、授業どころではない。キャンパス内は大騒ぎとなった。
小池は、73年(昭和48年)10月6日、アルアハラム新聞の一面を見て声を上げた。
「いよいよ、戦争が始まった!」
新聞の大見出しには、真っ赤な文字で「戦争勃発!」と書かれていた。
エジプト側が珍しくイスラエルに奇襲攻撃をかけ、いわゆる、第4次中東戦争の火蓋が切られたのだった。第3次中東戦争(6日戦争)の時、先手を打って圧勝したイスラエルに対し、今回はアラブ側が先制攻撃をしかけた。
アラブ側はソ連製の比較的優秀な武器などを使用したこともあって、一時イスラエルは苦戦を強いられた。第2次世界大戦以降、両陣営がほぼ同等の兵器をもって対峙した数少ない例である。
アラブ側は、緒戦でスエズ運河周辺のイスラエルに大損害を与えたものの、イスラエルが巻き返しを図り、逆にアラブ側が苦戦することとなった。
大下英治(作家):1944年、広島県生まれ。政治・経済・芸能と幅広いドキュメント小説をメインに執筆、テレビのコメンテーターとしても活躍中。政治家に関する書籍も数多く手がけており、最新刊は「挑戦 小池百合子伝」(河出書房新社)。