アンネ・フランク一家は本当に裏切りられたのか?あれから72年、歴史家が新説を発表(オランダ研究)
アンネ・フランクの家族は、2年間アムステルダムの隠し部屋で、いつナチスに捕まり強制収容所行きになるか分からない不安とともに暮らしていた。
そしてついにそれは起きた。1944年8月4日、捜査官が秘密を嗅ぎつけ、隠し扉の本棚の後ろで暮らしていた一家を検挙したのである。
逮捕されたユダヤ人8名のうち7名がホロコーストによって命を落とした。ナチス政権下の恐怖を伝える日記を残したアンネもその1人だ。彼女はドイツのベルゲン・ベルゼン収容所でチフスにかかり15歳で亡くなった。
唯一生き残ったアンネの父オットーは数十年間、密告をした人物を探していた。これは歴史家にとっても72年来の謎であり、現在もその解明が行われている。
そしてこの度、アムステルダムにある「アンネ・フランクの家」博物館が今月、新しい説を発表した。
■ 裏切者は本当にいたのか?
これまで隠し部屋を密告した裏切り者が存在すると考えられてきた。唯一生き残ったアンネの父、オットー・フランクの疑いは、ヴィレム・ファン・マーレンという隠れ家に入れてもらえなかった新入りの従業員に向けられていた。
「私たちはずっと彼を疑っていた」と、1963年にフランクはオランダ紙に語っている。
博物館のサイトによると、ヴィレム・ファン・マーレンは詮索好きなタイプだったという。一度などは職場の倉庫のテーブルに紙を置き、誰かがそばを通ると落ちるという罠を作ったこともあったそうだ。
それでも彼が密告者であるという決定的な証拠は存在しない。
またオランダ国家社会主義者のトニー・アラーズ(Tonny Ahlers)やアンネ一家の隠れ家を支援していた従業員の妻も容疑者として挙げられている。
だれもがこの密告説を疑う者はいなかった。

■ アンネ一家を逮捕したのはナチスの捜査官ではなかった?
これは、ある部分では、ユダヤ人を逮捕した3人はSD(ナチス親衛隊の情報部。ナチス政権に対する危険分子を捜査)であったと歴史家が考えてきたことに、その原因がある。
しかし研究者が明らかにした最新情報によると、オットー・フランクが捜査官と考えていた3人はナチスの敵を探していたわけではなかったようだ。
彼らは実際には配給カードの不正や兵役忌避を捜査していたのであり、ユダヤ人狩りではなかったという。
アンネは日記の中で、偽造配給カードの取引で逮捕された者がいることに繰り返し触れている。「だから今クーポンがないの」と。
これは当局にも報告されており、彼らは現場を抑えるためにちょくちょく隠れ家周辺を訪れていた。
■ 電話線が遮断されており密告は困難?
また密告説の穴をついた別の状況証拠もある。例えば、電話線の多くが切断されていたことが挙げられる。したがって市民が当局にユダヤ人の隠れ家を密告することは難しかった。もちろん電話以外で密告する方法がないわけではないのだが。

もちろん博物館側は、今回の新説も含めて、アンネの家族が見つかってしまった原因について結論を出すような説はないことも強調する。
これで密告説が完全に否定されたわけではないからだ。1944年の運命の日について最終的な結論はいまだ謎に包まれている。
現存するアンネ・フランクが映っている唯一の動画
via:annefrank/washingtonpost/globaloなど/ translated hiroching / edited by parumo