「ボイン」誕生50周年!あの「癒しのバスト」に会いたい!(4)バスト乱世50年のヒストリア (2/2ページ)

アサ芸プラス

 80年代に入ると同時に、彗星のごとくシンデレラが現れた。当時、熊本大学の女子大生だった宮崎美子(58)である。無名の宮崎を起用した「ミノルタカメラ」のCMで、木陰で恥ずかしそうに水着に着替える姿が大人気となる。どちらかといえばポッチャリの部類だが、まさしく「今のキミはピカピカに光って」歴史に名をとどめる。

 同じ80年には、烏丸せつこ(61)の出現もまた大きな事件だった。グラビアの登竜門である「クラリオンガール」に選ばれると、真ん丸でふっくらした乳房をレイで隠したポスターが衝撃を与える。

 のちにイエローキャブを率いて巨乳王国を築く野田義治社長は、そのポスターを「全てのグラビアアイドルの手本」と公言する。

 烏丸は15年、週刊アサヒ芸能のインタビューで当時をこう振り返っている。

「日本だけじゃなく、アメリカ版の『PLAYBOY』にも写真が載ったと聞いて驚いたな。ただ、当時のマスコミが『おっぱいおっぱい!』って言うのは、うるさいなと思ったよ」

 さらに80年、歌謡界から飛び出したのが河合奈保子(53)である。ヒット曲も数多く、いつも笑顔を絶やさず、そして求められればダイナミックな水着姿を披露した。三拍子も四拍子もそろった完全無欠のアイドルに、今なおラブコールは高まるばかり。

 16年に発売された復刻版の写真集は、本人が長らく休業状態であるにもかかわらず、現役のアイドルを凌駕する売れ行きとなった。

 そんな80年代の終わりに登場したかとうれいこ(47)は、いよいよ「巨乳」という新語が生まれた代名詞的な存在である。どちらかといえば童顔の部類だが、顔だちに不釣り合いな巨大な乳房がそびえている。

 かとう自身はグラビアよりも歌をメインに活動したがっていたが、需要がどちらにあったかは言うまでもない。

 最後は「20世紀最強のグラドル」とも「完売クイーン」とも呼ばれた青木裕子(39)だ。B95・W59・H87という完璧すぎるIカップボディは、登場した雑誌をたちまち完売させるという伝説を作った。

 11年に結婚して芸能界から離れたが、夫の実家が経営する山形の回転寿司店を直撃した。

「今は子供が1人いて、お店には忙しいランチタイムを中心に、お手伝いをしてくれることもあるよ。子育てをしながらの手伝いなので、週に何回とか何曜日とは決まっていない。でも、本人はすごく元気だよ」

 残念ながら青木本人には会えなかったが、あのミラクルボディは今も健在なようである。

「「ボイン」誕生50周年!あの「癒しのバスト」に会いたい!(4)バスト乱世50年のヒストリア」のページです。デイリーニュースオンラインは、朝丘雪路週刊アサヒ芸能 2017年 1/5・12合併号烏丸せつこ青木裕子榊原郁恵エンタメなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る