人が動く! 人を動かす! 「田中角栄」侠(おとこ)の処世 第53回 (2/2ページ)
例えば、全国紙は「いま田中首相の登場を迎えて、変化への予感と期待がよみがえろうとしている」(朝日)、「野人総裁角さん、浪花節と“電算ブルドーザー”」(読売)、「高小卒で天下を取る」(毎日)と活字を躍らせ、総理就任直後の内閣支持率は当時としては出色の実に62%(朝日)を記録した。ちなみに、この歴代最高記録は平成13年、小泉純一郎内閣の誕生による87%(読売)によって破られている。
こうした中、第1次田中内閣を成立させた直後、田中は秘書の佐藤昭子にこう漏らした。「オレは(総裁)2期6年はやらない。1期3年で人の2期分働いてみせる」。また、メディアからの“追い風”に励まされたように、「内閣はできたときに最も力がある」と意気込みを吐露した。
ここでの後者について言えば、田中はその後も次のような言い回しをしている。「仕事をすれば、批判があって当然のことだ。しなければ責任回避を見抜かれ、叱る声さえも出なくなる。私の人気が悪くなってきたら、ああ田中は仕事をしているんだと、まァこう思っていただきたい」と。
こうしたことは、一般社会でも同じである。それなりの責任あるポストに就いた場合、そのときが一番力があるのだから、モタモタせずに積極的にチャレンジせよと言っているのである。
なるほど、「内閣はできたときに最も力がある」とした田中の立ち上がりは早かった。自らキャッチフレーズとした「決断と実行」のエンジン全開である。政治課題、政策の柱は二つ。一つは日本と中国の国交正常化、もう一つは全国を新幹線と高速道路で結び、太平洋側と日本海側の過密・過疎の解消、すなわち格差是正へ向けての「日本列島改造計画」の実施であった。
まず、「日中国交正常化」。7月7日、内閣がスタートしたその日の夜、早くも動いた。田中は外務大臣に指名した大平正芳ともども、赤坂の料亭に密かに外務省の橋本恕・中国課長を招き、こう伝えた。「この内閣は日中の国交正常化をやるつもりだ。ご苦労だが、あくまで極秘に交渉を進める作業に入ってもらいたい」。総理や外相が官庁の一課長に“頼み事”をするというのは異例だが、ポストで人を問うということをしなかった、これが「田中流」ということでもあった。
しかし、折から自民党には強固な「親台湾派」が少なからずおり、中国共産党との正常化交渉の前に立ちふさがった。「田中はけしからん」、党外からも正常化反対の声も出た。とはいえ、田中の「決断と実行」は揺るぐことがなかった。
田中は言った。「総理になるということは、銃口の前に立つことだ」。その身の引き締まりぶりがうかがえたのである。
(以下、次号)
小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材46年余のベテラン政治評論家。24年間に及ぶ田中角栄研究の第一人者。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書、多数。