【日本人が知らないニッポン】おんな城主を育てた「幼年学校」龍潭寺 (2/2ページ)
・戦国は「男女平等社会」
徳川家康が駿府にある臨済寺で勉学に励んでいたという記事は、すでに配信しました。
この時代の寺社勢力は、常に地元の領主とともにありました。織田信長が頭角を現す以前の日本は、お坊さんが国全体を牛耳っていたと言っても過言ではありません。
そもそも、戦国時代のお坊さんは「軍人」でした。ドラマの中でも龍潭寺の僧侶が武芸の稽古をする場面が出てきます。寺はまさに陸軍幼年学校みたいな施設と表現すべきで、しかも女子も入学可能でした。
戦国期の日本は、男女格差があまりなかったと言うべきでしょう。やはりNHKで放映されている英国ドラマ『ダウントン・アビー』は20世紀初頭が舞台ですが、当時のイギリスでは女性が家の財産を相続することはできませんでした。議会制民主主義発祥の国は、決して女性に寛容ではなかったのです。
それとは対照的に、日本の戦国期は「女性の力」が発揮された時代でもありました。
・井伊氏の「役割」
直虎を含む井伊氏歴代当主の墓は、龍潭寺の敷地内にあります。
井伊氏は「東海道の裏道」として知られる本坂通の番人として君臨していました。じつは東海道は、15世紀末から100年以上もの間機能不全を起こしていました。その理由については別の機会に説明したいと思いますが、不便になった東海道の代わりとして浜名湖を迂回する本坂通が活用されたのです。
ですが井伊谷が交通の要所であるからこそ、幾度も戦乱に巻き込まれてしまいました。そしてその度に後継者の男子を失うという悲劇に見舞われています。
直虎は、その只中で城主になった女性です。そうしたことを踏まえて鑑賞する大河ドラマは、より面白くなるでしょう。
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