心霊スポットの代名詞「墓地」ーーいつの時代からそんな存在になった?! (2/2ページ)

心に残る家族葬



古くは、平安時代の前半に既に、古代の伝説上の皇后「神功皇后」の墓と信じられていた古墳に、鳴動があったとする記録がある。ただこれは、朝廷や社会の危機のお告げではなく、被葬者の取り違えを訴えたものとされた。

■豊臣秀吉のお墓も鳴動した?!

また平安時代の末には、藤原氏の祖中臣鎌足の墓が鳴動したという記録も出てくる。この頃から、過去の要人の墓の鳴動は、墓の主の子孫がお家存亡の危機に直面していることのお告げだとする考え方が、強まってくる。この、墓の鳴動をお家存亡の危機のお告げとする信仰の発生は、武家の台頭や源平合戦など、社会の大幅な変化と関係が強いと考えられる。

この種の鳴動が記録されているような墓の主で、最も新しい時代の人物の一人が、豊臣秀吉であった。秀吉が亡くなった翌年の1599年、彼の墓が鳴動したという記録が、江戸時代前期の『本朝通鑑』にある。この鳴動の、更に翌年である1600年には関ヶ原の戦いが起こり、1615年には大坂夏の陣で豊臣政権が滅ぼされた。このことも人々に、秀吉の墓の鳴動は、豊臣政権の危機を告げるものだったと信じさせたことだろう。

■最後に…

往時の要人の墓が鳴動したと信じられたり、そうした鳴動はしばしば子孫や社会に警告を発するものだと信じられたりした日本の中世は、死者の魂が時々この世に戻り、墓に一時的に滞在するという信仰が芽生えた時代でもある。この信仰は、中世末〜近世に発展し、更に近世末〜近現代には、死者の魂は、遺体(遺骨)や墓に常駐するという信仰につながっていった。

ただ、死者の魂が墓に滞在するとする信仰が発展した近世以降は、こうした墓の鳴動の記録は、大幅に少なくなる。「墓の鳴動」と、「死者の魂のゆくえ」に関する考え方の変化とは、必ずしも一致していないといえよう。

参考文献:鳴動する中世 怪音と地鳴りの日本史

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