83歳筆者が再び考える「人工知能」...恐ろしいのは「AIの暴走」か、それとも? (6/8ページ)
「常識ではこういう終わり方をするはずなのに、そこをあえて"not"にする「オチ」をつくるのは、コンピュータ、とりわけディープラーニングには難しい、ということですね。」
こうした専門家やエキスパート達の発言や考えを見て来ると、「AI」が人間の能力の大部分を超えることは先ず、間違いなさそうだが、人間とは決定的に異なるところは、どこか別のところで読んだのだが、「AIが人間のような"身体性"を有していないことだ」と言う。
つまり、当たり前のことだが、AIは人間のような肉体を有していないことを意味して居り、これは一方でAIの強みでもあり、また弱みでもある、と考えられる。
AIは人間のように肉体を有していないから、少なくとも今の人間のように「死ぬ」ことは無い。しかし、肉体を有していないからこそ、人間に及ばないことだって有る。AIが最も苦手とする事柄は、人間なら豊かな人も貧弱な人も居るではあろうが、「感性」や「直感」を有しない人は居ないのに対して、哀れなことには、AIはそれらを全く有していないし、またそのことを理解することすら出来ない筈だ。
だが、この点に関し、こういう話を聞いたことがある。それは、例によって、筆者が録り溜めたHD内のNHKの或るドキュメンタリー番組を視聴してみたら、その中で、NHKの記者と(確か)時事通信社か、何処かの記者が対談している中で、いわゆる報道記事は、今ではAIに書かせた方が効率が良く、既に米国の新聞社では、その技術を採用しているところも少なく無い、と言う。
それは、いずれの国でも新聞紙そのものの販売が低迷しているが故に、経営上の方針から記者の数を減らし、AIが書ける記事はAIに任せて、合理化を図る方向を目指しているのだ、という。
つまり、大方の報道記事というものは、一定のパターンがあり、それに沿ったデータや情報を入れてやれば、AIがうまく記事に纏め上げるらしい。いずれは、今のような新聞記者というものは存在しなくなるだろう、という話だ。
ただ、ここで筆者が気になったのは、その対談の中で、スポーツ記事の例が挙げられていたのだが...。もう少し、具体的に説明してみると、何のスポーツでも良いのだが、たとえば、AチームとBチームが対戦したとする。