早稲田の名門文芸サークル「ワセミス」を半年でフェードアウトした直木賞作家 (2/2ページ)

新刊JP

曲は作曲家のものであると同時に演奏者のものでもあるという意味では、確かに小説家と読者の関係に似ているのかもしれません。

――毎回作風ががらりと変わる恩田さんの小説ですが、ご自身としても常に作風を広げていきたいという思いがあるのでしょうか。

恩田:新しい芸風を開拓しないとすぐに縮小再生産に陥るというのはわかっていますから、「これまでとは違うことをやらないと」という強迫観念のようなものは、デビュー当時からすごくあります。

――1992年にデビューされてから、25年以上小説家として第一線で活躍されている恩田さんですが、小説家になろうと思ったのはいつ頃ですか?

恩田:子どもの頃から、いつかは小説家になりたいという気持ちはあったのですが、作家って漠然と「お年寄りがなるもの」というイメージがあって、自分がなるにしても立派な大人になって、それなりに社会人経験を積んでからだと思っていたんですよ。

ただ20代の頃、日本ファンタジーノベル大賞という新人賞の第一回受賞者の酒見賢一さんが私の一つ上だということを知って、この年代でも小説を書いてもいいんだと思ったんです。それで、「じゃあ私ももう書こう」ということで書いたのがデビュー作です。

――大学時代は「ワセダミステリクラブ」に在籍されていたと聞きました。当時は何か書いたりはしていなかったんですか?

恩田:学生時代はまったく書いてないです。当時は作家になるということを現実的に考えていませんでしたし。

それと、実は「ワセダミステリクラブ」にいたのは一瞬なんです。すごく有名なサークルだったので入ってみたのですが、当時はファンタジー小説が全盛で、私が好きだった本格ミステリを読んでいる人はほとんどいませんでした。

――サークル内にも流行があったんですね。

恩田:ちょうど「機動戦士ガンダム」が人気だった時代で、アニメとかSF、ファンタジーが盛り上がっていました。作家でいうと田中芳樹さんとか。

だから、ミステリを語りたいのに語れる人がいない、という感じで、他のサークルで忙しかったこともあって半年くらいでフェードアウトしてしまいました。

最終回 「上手な人は増えたけど…」小説家を目指す人に伝えたいこと につづく 第一回 構想から完成まで12年!『蜜蜂と遠雷』ができるまで を読む
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