江戸時代、旅先で亡くなった場合は旅先で弔うか故郷に帰ったかどちらか? (2/2ページ)
その例として、備前国早島(現在の岡山県)の住人で、武家か大規模な商家の当主の母であった女性「尾池松子」のケースがある。松子は、50歳頃に日本を一周し、蝦夷地(北海道)にも渡った。そしてその帰り道、出羽国大館(現在の秋田県)で1809年に病死した。
松子の死は、出羽国の領主佐竹家の計らいで自宅に伝えられた。彼女の子息は大館に行き、母松子の遺骨や遺髪、彼女の書き残した旅の記録や詠んだ和歌を記した和歌帳(旅の記録・和歌帳共に現存しない)を早島に持ち帰った。
松子が旅先で亡くなったことを、そこの領主が全面協力して彼女の家に伝え、遺族が遺骨・遺品を持ち帰れるよう手配したのは、彼女がそれなりの有力者層に属する人物であったからだという点も、確かに大きい。 庶民層でもこうしたことが一般的になるのは、彼女の死から約100年後の、明治時代後半であった。
参考文献:近世おんな旅日記