小倉百人一首の超謎の歌人「猿丸大夫」はなんで百人一首に採り上げられた? (2/2ページ)

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猿丸太夫が三十六歌仙の1人であることは、広く知られています。『古今和歌集』の序文には、大友黒主という歌人を紹介する項目で「大友黒主が歌は、古の猿丸大夫の次(つぎて)なり」とあるので、少なくとも『古今和歌集』が成立した平安時代前期には「伝説上の歌人」とされていたということが分かります。

しかし、古今和歌集で触れられている以外には、生没年はおろか名前すら公的史料には残されていない、まさに謎の人物なのです。

『猿丸大夫集』という歌集もありますが、この中に入っている歌の多くは『万葉集』や『古今和歌集』の中の「詠み人知らず」の和歌を集めたもので、彼の歌であるという根拠のあるものはありません。

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なぜ百人一首に採られたの?

では、このような伝説上の歌人である猿丸大夫が、なぜ百人一首に採り上げられたのでしょうか?

諸説ある理由の中でも、撰者の藤原定家が「百人一首」というだけに全ての作者の名前をあげないわけにはいかず、この歌の作者と伝わっていた猿丸大夫の歌ということにした、という説が有力です。

謎の歌人の正体は

猿丸大夫の正体については、聖徳太子の孫の弓削王であるとも、天武天皇の孫の弓削皇子であるとも言われています。柿本人麻呂の別名だったという説や、更には女帝・孝謙(称徳)天皇の信頼を得て出世した僧侶・道鏡であったという説もあります。

真相については定かではありませんが、何らかの理由で立場を公にはできなかった人物の、世をはばかるペンネームだったのかも知れませんね。

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