目指すは玉の輿!芸事をいくつも習わせる教育ママは江戸時代にも健在だった

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目指すは玉の輿!芸事をいくつも習わせる教育ママは江戸時代にも健在だった

我が娘の玉の輿を願って、教育熱心な母親は、江戸時代にもいたようです。男性と女性の人口を比べると、圧倒的に女性が少なかった江戸時代は、長屋の娘であろうと玉の輿にのるチャンスがありました。

引用画像:東京都立図書館

笠森おせんも水茶屋の娘から玉の輿!

女性が少なかったとはいえ、何もせずに玉の輿にのることができるのはよほどの美人。明和の三美人のひとりだった笠森おせんは、水茶屋の娘から幕臣の正妻の座を射止めました。でも、彼女のスゴいところは、美人だからとそれを鼻にかけて華やかな暮らしをしたわけではなく、結婚後の生活は極めて地味だったところ。結婚相手が御庭番だったため、桜田の御用屋敷(現在の日比谷公園)内で暮らし、生涯を終えるまでこの塀の外に一歩も出なかったとか。

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武家屋敷への奉公が近道?

笠森おせんのように玉の輿に乗れる女性は、ごくごく一部。男性たちを振り向かせる美貌は、努力しても手に入れることはできないのは、教育ママたちもよくわかっています。一般的な長屋住まいの娘が玉の輿にのるには、武家屋敷に娘を奉公させるのが近道と言われていました。我が娘を選んでもらうために、芸事をいくつも習わせる母親が大勢いたそう。というのは、大名や旗本が奉公を選ぶとき、芸事をたしなんでいるのが条件の一つだから。母親たちは寺子屋だけでは満足せず、三味線などの芸事を習わせ、いくつも塾に通わせるのです。

母親としては、子供の将来のためにやっているのですが、子供にとっては大変。親の期待に応えるために、寺子屋での午後の授業にも出席できず、やむなく習い事へ向かうのです。もちろん習い事に励んだからといって、必ずしも玉の輿にのれるという保証はありません。それでも一筋の光があるならば、それに賭けてみようということでしょうか。

自分が苦労した分、子供には楽をしてほしいという親心もあるのかもしれませんね。教育ママがいる江戸っ子たちは、どのくらい遊ぶ時間があったのでしょう。なんだか、「今日も、今からお稽古なの…」といったぼやきが聞こえてきそうです。

【参考文献】

彩色江戸の暮らし事典 双葉社 江戸で暮らす 新人物往来社 江戸の庶民のかしこい暮らし術 河出書房新社

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