江戸時代、非合法の売春街「岡場所」の遊女は子供だった?

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江戸時代、非合法の売春街「岡場所」の遊女は子供だった?

江戸時代、非合法の売春街といえば、岡場所のことでした。文京区にある根津神社の門前・岡場所「根津」、港区にある氷川神社の門前・岡場所「赤坂氷川」、墨田区にある両国回向院の門前・岡場所「回向院前」をはじめとした岡場所は、堂々と営業していたようです。

喜多川歌麿「深川の雪」

吉原は辺鄙な場所にあるし、手間もお金もかかるけれど、岡場所ならば安いし市中にあっていきやすいからか、下級武士や庶民にとっては身近な場所でした。町奉公所も、見てみぬふりをしていたとか。

岡場所の遊女の呼び名とは?

岡場所の最盛期は、宝暦から天明にかけて(1751~89年)。岡場所の遊女は、子供と呼ばれていたそう。20代半ばを過ぎた遊女が大半で、亭主や子供がいる女性も多かったのに、なぜ「子供」という呼び名?と思ってしまいますよね。年齢もバラバラでした。もぐりの遊女屋のことを「子供屋」ともいい、隠語では「どや」と呼んでいました。

そして、彼女たちつまり子供の憧れは、どやのかかになること。どやのかかというのは女主人のことで、これになることが最大の出世でもあったのです。パトロンがいて、1人か2人パトロンがいたら、どやのかかになることも夢じゃなかっただけに、岡場所という環境の中でも少しでもいい暮らしをしたいと切に願う女性も少なくなかったのかもしれません。

女郎買いもオープンに?

独身の男性だけでなく妻帯者も女郎買いをしていたので、さぞかし世の女性たちは岡場所の遊女に対して嫌悪感を抱いていたのでは…と思いきや、素人の女性に手を出すよりはずっとましと、考えていたようです。といっても、もちろん女郎買いをしてほしいわけではなく、しょうがないと諦めていたよう。当時は、売春に対して寛大な社会だったこともあるでしょう。だからか男性も罪悪感や抵抗感もなく、江戸時代中期の旅行ブームの頃には、旅行途中にある宿場で女郎買いをするほど。

寛政5(1793)年、松平定信による寛政の改革で、56箇所の岡場所が取り潰されて、いったん巻き返しを図るものの、天保12(1841)年から水野忠邦による天保の改革で大打撃、岡場所は再び取り潰されてしまったのです。ちなみに、これらのときは、召し捕られた子供たちは吉原に送られたそう。子供という名の遊女たちも、時代の変遷とともに、揉まれて逞しく生きていたのですね、きっと。

参考文献:江戸の売春 永井義男, お江戸吉原草紙 田中夏織

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