神田祭はもともと9月の祭りだった。変更理由は平将門の祟り?

Japaaan

神田祭はもともと9月の祭りだった。変更理由は平将門の祟り?

2017年は5月11日から5月17日まで行われる千代田区神田明神の神田祭。400年以上の歴史を持つこの祭礼、実は江戸時代には9月15日に行われていた事をミナサマご存知でしょうか。

一鵬斎芳藤「東京神田神社祭礼之図」国会図書館蔵

一鵬斎芳藤「東京神田神社祭礼之図」国会図書館蔵

神田明神は平安時代に朝廷に反発した武将・平将門を祀り、江戸の民を災厄から守護した江戸の総鎮守。江戸っ子たちから深く信仰され、反骨精神あふれる武将の鑑である将門は江戸っ子たちの憧れでもありました。

歌川豊国「近江八景之内 堅田落雁 平将門」国会図書館蔵

歌川豊国「近江八景之内 堅田落雁 平将門」国会図書館蔵

神田祭は「天下祭」と呼ばれ、5代将軍綱吉の元禄時代からは江戸城内にも山車が入り、将軍はもちろん大奥の女性たちもこの祭りの雰囲気を見て楽しみました。旧暦の9月は新暦の10月とほぼ一致します。爽やかな秋晴れの空の下、江戸っ子たちはこの祭りにさぞや熱狂した事でしょう。

楊洲周延「千代田の大奥 神田祭礼上覧」国会図書館蔵

楊洲周延「千代田の大奥 神田祭礼上覧」国会図書館蔵

しかし時代が明治に移ると、そんな神田祭にもピンチが訪れます。祭神である平将門が、「平安時代に朝廷に背いた朝敵である」として、ナント末社(大きな神社の中にある小っちゃな社)に格下げされてしまったのです!

「おきゃがれ!」と神田っ子はブチギレ、意地を張って10年間も祭りを中止。10年後の明治17年、ようやく冷静になったのか「久しぶりにやるか」と政府に反発してお金も沢山集め、過去最大級に豪勢にやろうとした9月15日。旧暦でなく新暦の9月になった事も影響して、ナント特大の台風、名付けて「将門台風」が関東地方を襲ったのです!

これにはさすがの神田っ子も「ご勘弁」!大伝馬町の諌鼓鶏の先頭山車の後、2、3の山車は出せたようですが、祭りは途中で中止せざるを得ず、「明治政府の扱いに怒った将門様の祟りだ!」という噂が流れました。その後も明治23、24年頃の9月にはコレラが大流行するなど、将門の怒り(?)はおさまりません。結局9月という時期が悪いという事になり、ついに神田祭は5月に移されました。

ちなみに平将門は、昭和期に入ってしばらく経ったのちにもとの本社に格上げされ、再び堂々たる神田明神の祭神として祀られるようになりました。薫風かおる5月、400年の時を超えて力いっぱい神輿を担ぎ、青葉の東京の町を練り歩く現代の江戸っ子たちを、将門様は今も優しく見守ってくれています。

神田祭特設サイト

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

「神田祭はもともと9月の祭りだった。変更理由は平将門の祟り?」のページです。デイリーニュースオンラインは、神田祭お祭り神田明神カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る