天下の猛妻 -秘録・総理夫人伝- 安倍晋三・昭恵夫人(中) (2/2ページ)

週刊実話

安倍が父親の後継者と目されていたことから、挙式後からして安倍の地元・山口県下関でのなんと3000人を集めた披露宴をはじめ、選挙区内の数カ所でもお披露目をせざるを得なかったからだった。
 父・晋太郎が死去し、平成5年7月、晋三がいよいよ父の遺志を継いで総選挙に初名乗りを上げたことで、「大変」にいよいよ拍車がかかった。当時の選挙区制はまだ中選挙区で、定数4に対して8人が争うという激戦区。「弔い合戦」は有利とはいえ、手は抜けない。昭恵も、そのるつぼに投げ込まれた。当時を取材した地元記者の証言が残っている。
 「選挙戦では父・晋太郎の洋子未亡人(注・後に「ゴッドマザー」とも呼ばれる岸信介元首相の娘)が連日、後援会を回り、昭恵夫人はと言うと、こうした会合に顔を出す一方で選挙カーでマイクも握った。『緊張でガチガチ、何をしゃべっているのか分からない』『何からどう手をつけていいのか分からない』と、分からないだらけによく涙を流していた。
 ところが、後援会の会合では“本領”を発揮。安倍本人は酒がダメだが、酒も飲めないでは選挙にならない。『オレたちの酒が受けられないか』『愛想がない』となることから、ここは酒豪の昭恵本人の独壇場だった。ビール、ウイスキー、日本酒、ワイン、何でも来いで、飲みっぷりも見事、そして颯爽と座を後にするから集まった連中はみな見惚れていた」
 かくして、安倍はこうした昭恵夫人などの“奮戦”もあって初陣を制することができたのだった。

 その後の安倍は、異例の早さで出世の階段を駆けのぼった。自民党幹事長、官房長官などの要職をこなし、幹事長時には「行列のできる幹事長」と言われ、その人気の高さを誇ったものであった。そして、当選わずか5回で首相の座にチャレンジ、52歳で見事、そのイスに座ってみせたのである。
 逆に言えば、昭恵という女性と出会ったことで、安倍氏は悲願を成就することができたとも言える。その意味では、昭恵は「悪妻」にあらずして「猛妻」と言える。「猛妻」とは、夫を支える一方で、自分の意志を断固曲げない妻を指すのである。「悪妻」は古今東西多々あり、古代中国・劉邦の呂太后は、夫亡き後、夫に連なる家臣の手足を斬り離すなど残虐の限りを尽くし、自分一族で権力を握ってしまった等々である。

 安倍は、せっかく手にした政権を体調不良によりわずか1年で投げ出した。これを契機に、昭恵はその「猛妻」の色合いを、大きく変えていくことになる。
=敬称略=
〈この項つづく〉

小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材48年余のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『決定版 田中角栄名語録』(セブン&アイ出版)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。

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