天才テリー伊藤対談「塩地美澄」(1)秋田での9年間は貴重な経験でした (2/2ページ)
テリー へぇ。それはそれで、仕事としてやりがいがあるよね。
塩地 そうですね。でも関東から地方に異動になった人だと、2、3年で辞めて東京に戻っちゃうパターンが多いです。やっぱり華やかなアナウンサーのイメージしかないから、仕事内容とのギャップに耐えられないみたいで。
テリー じゃあ北海道から秋田だと、どうだったの?
塩地 私はちょっと南下できたから、うれしかったです(笑)。ちょっとでも雪が少ないところに行きたかったので。
テリー じゃあ、沖縄に行けばいいよ(笑)。
塩地 アハハハ、最終的に目指します。
テリー 振り返ってみて、秋田での9年はどんな時間だった?
塩地 ひと言で言えば、「どうにか私を社会人にしてもらえたな」と思っています。いろいろ貴重な経験をさせていただきました。
テリー どうして、退社することになったの。
塩地 入社5年目の4月に担当が情報番組からニュース番組に変わって、精神的に疲れてしまったんです。しかも、そのタイミングで父にガンが見つかって、余命半年を宣告されちゃったんです。
テリー そうなんだ、悪いことは重なるなァ。
塩地 それで父のため、あと自分の休息のために北海道に帰る時間を作りたいと思って、上司に辞意を伝えたんです。100%で仕事しないと周りにも迷惑をかけるし、自分も納得できないですから。もっとも、引き留められて実際に辞めるまでに、そこから2年半かかったんですけど。
テリー その間、お父さんのお見舞いは大丈夫だったの?
塩地 実家には隔週で帰っていました。月~金曜の帯番組を担当していたので、金曜日の夜に帰って、土日泊まって、月曜日の午前中の便で帰ってくる、みたいなスケジュールをこなしていました。
テリー それは体にも心にも負担が大きいよな。よくやれたね、えらいよ。
塩地 正直キツいと思うこともありましたが、後悔したくなかったので、頑張れました。