天下の猛妻 -秘録・総理夫人伝- 佐藤栄作・寛子夫人(中) (2/2ページ)

週刊実話

前に出なさい」と、新聞記者に向けての“最後っ屁”をかました。ブンむくれの新聞記者たちは一斉に部屋を出、テレビだけの異例の会見となった。この発言には、これまでの佐藤としての記者に対する“憤怒”ぶり、慎重で鳴った人物だけに落ち着きを失った心境が忖度できる。この会見を振り返って寛子夫人は、のちに筆者のインタビューにこう答えたものだった。
 「ふだんから愛想もヘチマもない栄作でしたから私も慣れっ子でしたが、あのときはさすがにマズイなぁと思いましたよ。しかし、家に帰ってきたときも、私は何も言いませんでした。『女は黙ってろッ』が、栄作の口グセでしたから。翌日の新聞朝刊を見るのは怖かった。案の定、記事は記者の“シッペ返し”が踊っていました。栄作は、結構ケロリとしていましたが」

 しかし、寛子夫人はこんな佐藤の最大の理解者でもあった。首相の座にすわった多くが口にするのは、「最高権力者ほど孤独な者はいない」ということである。国家、国民の全責任を背負う。一つ一つの決断の重圧感は、首相自身しか分からぬということである。これについても、寛子夫人は筆者のインタビューで、佐藤の“もう一つの顔”をこう話してくれたものだった。
 「総理大臣としての栄作の孤独の背中は、いやというほど見ました。栄作は、元々、運命というものを信じる人でした。首相公邸住まいのときでも、方位、八卦の本をよく読んでいたものです。また、トランプ占いは結婚前からやっていました。ある政局が緊張した日、深夜、栄作の部屋から明が漏れているのを見たんです。襖を3センチほど開けてみると、一人布団の上にすわり込み、何かブツブツ言いながらトランプをめくっていたのです。その後ろ姿にはゾッとしましたが、総理の座がいかに孤独か、改めて知ったものでした」

 そうした首相の重責から解放された佐藤は退陣後、髪形を長髪に変え、周囲を驚かせた。寛子夫人のさしがねによる“イメージ・チェンジ”だった。結婚以来、初めて妻の言うことを聞いた佐藤ということであった。
 その後、首相を長く務めたことで、昭和47年11月、大勲位菊花大綬賞を拝受、礼装して夫婦二人してカメラにおさまった。驚くことに、二人にはどうしたものか結婚式の写真が一枚もなかったのである。47年目にしての“結婚写真”であった。
 昭和49年12月、佐藤はノーベル平和賞を受賞、このときの北欧行きが夫妻の“最後の旅”になったのだった。
(この項つづく)

小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材48年余のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『決定版 田中角栄名語録』(セブン&アイ出版)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。

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