天下の猛妻 -秘録・総理夫人伝- 田中角栄・はな夫人(上) (2/2ページ)

週刊実話

仮に『ノー』なら、それ以上はネチネチしない。『そうか、そうか』であきらめる。芸者などの玄人筋の女性が一番嫌うのは、しつこく、デレデレ、ジメジメ型。そして、一度でも関係を持つと“旦那ヅラ”をする輩だ。田中は、まったくそうしたタイプではなかった。もとより、カネばなれはいい、座敷も陽気そのもので、田中が来ていると大声で笑いがたえぬから、ほかの座敷にいる芸者たちが田中の座敷に行きたがってソワソワしていたものだ。
 田中土建工業社長の頃は、神楽坂の老舗料亭だった『松ヶ枝』(戦後政治の“舞台裏”であった)でも大いに遊んだ。あるとき、仕事を取るために仕事先の親方を接待、7、8人の芸者をあげてドンチャン騒ぎの末、田中は親方に向かってこう言ったそうだ。『あとは、いい妓を見つくろってよろしくやってくれ。いい夢でも見てくれ』と。時に、まだ20代の後半だ。大物になる人物は、やっぱり若くして何かが違うナ」

 もう一つ、こちらは田中が幹事長の頃のエピソードである。田中をよく知る政治部記者の証言だ。
 「田中と財界人との懇談会が赤坂の料亭であった。このとき、ある財界人が執拗に自民党幹事長ポストと政治献金との関わりを問い質した。すると、田中いわく『あなたは私たちが利権屋と組んで政治をやっているとお考えなのか。政治はそんな腐った根性ではできんッ。私があえて幹事長になったのも自民党を思えばこそ、この日本を愛すればこそなんだッ』と一喝、席を立ってしまった。
 そのとき、はべっていた芸者の一人が、そのカッコよさに『ああいうの、おか惚れしちゃうなぁ』とシミジミため息をついていたと、別の芸者が言っていた。田中には、男女問わず、このように妙に人を惹きつけてしまう“引力”があった」

 しかし、こうした女遊びの達人、モテ男を亭主に持ったカミサンはタイヘンである。田中の妻・はなは、離婚経験のある8歳年上である。はな周辺を取材してみると、異口同音に出てきたのが次のような証言だった。
 「徹底して、表に出ることをよしとしなかった。政治の世界はなおさら」「あの人から、人の悪口というものを聞いたことがない」「一度として、怒ったことを見たり聞いたことがない」「田中の女性関係もそれなりに耳に入っていただろうが、愚痴を聞いた人は一人もいなかった」。

 この田中夫妻、それでも51年に及ぶ結婚生活をまっとうした。“円満”の秘訣は、いったい何だったのか。
(この項つづく)

小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材48年余のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『決定版 田中角栄名語録』(セブン&アイ出版)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。

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