【新東方見聞録】いにしえのベトナム、アジアの大繁栄を支えたチャンパ王国の息吹 (2/2ページ)
日本や朝鮮は年1回しか米を収穫できませんが、タイやインドネシアあたりでは年3回の稲作が可能です。問題はその中間、沖縄や台湾、中国南部あたりの稲作事情です。この辺の稲作の頻度は年2回です。
沖縄からは「お中元に間に合う新米」が日本全国に発送されていますが、昔の人にとって稲作の頻度は生活に関わる問題でした。年1回より、年2回のほうが当然いいわけです。ベトナムからもたらされたチャンパ米は早稲種で、しかも粒の実りも多い救荒作物でした。
このお米により、アジア全体の生活基盤が底上げされます。14世紀、ヨーロッパはペストの大流行で荒廃の只中を歩んでいたのと同時期に、アジア海洋地域は繁栄の絶頂を迎えていたのです。
香木と日本史

そしてもうひとつ、チャンパの香木の存在も忘れてはいけません。
現在、正倉院にある蘭奢待は日本史にとってもっとも重要な香木です。足利将軍家や織田信長がその一部を切り取り、加熱して香りを味わっています。その蘭奢待は、どうやらチャンパ王国からの輸入品とのこと。
もっとも、このあたりは確たる証明が今もないためはっきりとしたことは言えないのですが、チャンパ王国が香木を重要な交易品にしていたのは事実。徳川家康も、香木輸入のためにわざわざチャンパ王国へ書簡を送っています。
そんなチャンパ王国にとっての聖域、ミーソン寺院は今日では遺跡群として保存されています。緻密なレンガの組み合わせにより建てられ、非常に高い強度を誇ります。
ベトナム戦争時、ミーソン遺跡はアメリカ軍による爆撃で荒廃していまいました。しかしそれでも完全崩壊しなかったのは、チャンパ王国の建築技術の賜物と言うほかありません。
アジア史をめぐる旅の中で、このミーソン遺跡は絶対に欠かせないスポットなのです。
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