天才テリー伊藤対談「川地民夫」(1)裕次郎の一言から映画俳優の道へ… (2/2ページ)

アサ芸プラス

「(クレジットでは)新人って書いてあるのに、こんな歌を歌えるなんてすごい。こんなカッコいいヤツがいるんだ」と、とにかく衝撃的だったんですよ。また、僕の大好きな芦川いづみさんが恋人役でね。うらやましかったなぁ。

川地 アハハハハ、それは悪かったね。

テリー そもそも裕次郎さんの家の隣に住んでいたのが、デビューのきっかけなんですよね?

川地 ええ。そもそも石原家が、小樽から僕の家の隣に引っ越してきたんですよ。かなり古い話になるけど、うちの親父は、昔の横須賀海軍病院の薬局長だったんですが、戦後は米軍の病院になっちゃってね。そうすると、僕の家から病気が出ちゃいけないっていうので、米軍が食料を送ってくれるんですよ。

テリー へぇ。

川地 当時、食べるものなんてないじゃないですか。だから、朝になると俺の家は6人兄弟になっちゃうんですよ、慎太郎も裕次郎も、飯を食べに来るから(笑)。まあ、ずっとそんなつきあいだからね。

テリー すごい話だ(笑)。具体的に日活に入られたのは、どういう経緯で?

川地 「陽のあたる」の僕の役は、最初は津川雅彦君がやるはずだったの。ところが、監督の田坂(具隆)さんが「3000人(候補を)見たけど、どうしても気に入るヤツがいない」と。そしたら裕次郎が、「俺の家の隣に、バンドをやってる、ちょっと変わったのがいるよ」って言って、それで僕が呼ばれたらしいんですよ。

テリー 川地さん、バンドやられていたんですか?

川地 ええ。ハワイアンのバンドですけどね。

テリー そうか、当時、バンドといえば、ハワイアンかウエスタンしかないですものね。

川地 ロス・インディオスってバンドがありますけど、あそこの棚橋(静雄)、彼は僕と一緒にバンドをやってたんです。

テリー だから、あんな歌が歌えたんですね!

川地 だと思うんですけどねェ。

テリー いや、読者にも「陽のあたる坂道」の川地さんはぜひ観てほしいな。まだロカビリーの余韻が残ってた時代かもしれないけど、それとも違う感じで、実にカッコいいんですよ。

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