江戸時代に頂点を迎えた「辞世」という文学は現代にどのようにして残っている? (2/2ページ)
それでは、いま私たちが生きている 現代ではどうだろうか?辞世の句なんて誰も作っていないように思えるが、辞世の文化はすっかり廃れてしまったのだろうか。
文学作品として和歌を作るという文化が 少なくなってしまった現代では、やはり和歌や発句によって辞世の句を作る、という考え方はあまりなされていないと言えるだろう。そもそも戦に常に動員され、医学が現代ほど発展していなかった昔では、現代よりも強く死が意識されていた。
現代では医療が進歩し、寿命も延び、以前ほど人々は「死」を意識することはなくなっている。それによって 死を強く思いながら自らの人生を振り返る辞世の文化も、徐々に衰退していったのではないかと 筆者は考えている。
それでも前述したとおり、「辞世」とは必ずしも歌である必要はない。例えば遺族に残す遺言、手紙、あるいは死の床に伏せる前に声や文字を残したもの、そういったものは少なからず「辞世」としての性格を持っているように思える。
■「辞世の句」を読む―――現代人にも通じる感性
文人、戦国武将、僧侶、俳人―――かつては多くの人が辞世をつくり、また多くの作品が現代にも伝えられている。
有名どころを少し見てみるだけでも、その人がどんな一生を送ったのか、あるいはどんな気持ちで死を見つめていたのか、その片鱗を受け取ることができる。中には現代に生きる我々の心に響くような哀愁や切なさもあって、悩んだ時にちょっとした助けになるかもしれない。
何かに行き詰まったり、悩みに直面したりしたときには いろいろな人の辞世の句を読んでみるのも良いかもしれない。きっと思わぬ発見や、気づきがあることだろう。