「彼は運命の人か」を見極める方法とは? (2/2ページ)
でも、そういういくつかの現実的な手続きを踏んだとしても、その後、気がついたらなぜかいつもそばにいる相手、これが運命の人です。
物理的に会えないケースは……たとえば彼のことが大好きなのに、なかなか会うことができないというケース。物理的にそばにいないから運命の人ではない、ということではありません。
あなたがなにをやっていても、ふと我にかえったら、彼のことを思っている――つまり、いつも彼があなたの心のなかにいる。こういうのも、運命の人、です。
人は自分の力で生きているのではなく、何者かによって生かされています。何者か、というのを、誤解を恐れず大胆に言い切ってしまうなら、神様によって生かされています。
だから運命というものが「効いてくる」のです。生かされているという感覚がなく「わたしはわたしの力で生きている」と思って暮らしていると、運命の人が誰なのか、見えてきません。
それこそ、朝の満員電車で「気がつけばいつもわたしのそばにいる人」が運命の人なのかも、と思ってしまうでしょう。それは「同じ電車に乗っている人」であって、運命の人ではありません。
自分は何者かによって生かされていると思えば、当然のように、心が澄んできます。澄んだ心は目がよくなりますから、「なぜかいつも、ふと気がつくとそばにいる人」のなかで、果たして誰が運命の人なのか、選別できるようになります。
「あなたが」大好きな人に、心を奪われていたのでは、見えてきません。ふとした瞬間に、我欲を捨てたとき、あなたの心に浮かび上がってくる人、つまりあなたの「心」があぶり出し、あなたに見せてくれる人、その人がまさにあなたにとって運命の人なのです。
「その運命の人とわたしは結ばれなかったから、こう定義するのはまちがっている」と主張する人もきっといるでしょう。でもね、それを我欲と言うんですよ。
運命の人と「絶対に」結ばれないと、それは運命の人と呼べないと決めたのは、あなたをはじめ、多くの女子の我欲であり、神様はそう定義していません。だからたとえば、運命の人が天に昇ったあと、その人をずっと思い続けて生きていく人の映画を見て、わたしたちは涙するのです。
Written by ひとみしょう