悲しすぎる…ハリスを世話した幕末の下田芸者「唐人お吉」の波乱万丈な人生:後編
前編の記事「ハリスを世話した幕末の下田芸者「唐人お吉」の波乱万丈な人生」に引き続き、昭和5年出版の松村春水「実話 唐人お吉」に沿い、「唐人お吉」と呼ばれた幕末の下田の芸妓、斎藤きちの数奇で哀切な一生を紐解きます。
実際に柿崎のアメリカ領事館に到着してみると、ハリスは病気で、芸妓遊びどころではありませんでした。きちは驚いた事でしょう。
きちがどのくらいの期間ハリスの元に通ったかは、諸説あります。3ヶ月世話をした説、1週間で暇を出された説、奉行所の記録によると、たったの3日間だったとか。いずれにしてもわずかな期間ですが、きちは病気のハリスを寝ずに看病し、ハリスが好きな牛乳を苦心して手に入れ大層喜ばせたと伝わります。きちは、相手が外国人だからと言って対応を疎かにしない、心優しく芯の強い女性だったのです。
しかし周りの目はそうは見ません。毎日美しく着飾り化粧したきちが、豪華な駕籠に乗りこみ、武士にまで挨拶を受けて領事館へ向かう姿を見た町の人々は、彼女が内心どんな心細い気持ちでいるか知るわけもなく、偏見と嫉妬で彼女をこう呼ぶようになります。「唐人お吉」と。同時に、きちが高飛車に「日本人なんか相手にしません」と言ったという根も葉もない噂まで広まってしまいます。
そのせいでハリスの看病の役目を解かれた後も客が付かなくなってしまったきちは、現実から目を背けるように酒に溺れる日が増えました。そして20歳の頃、ついに人々の前から姿を消します。
時は流れ、御一新後の明治元年。ただ1人、姿を消してしまったきちを探し続けていた人物がいました。その人こそかつての想い人、鶴松あらため又五郎。想いは通じ、彼はついにきちを横浜で見つけ出します。その時又五郎32歳、きちは28歳になっていました。2人は結婚し、しばらく横浜で暮らしたのち、互いの故郷である下田の大工町に家を持ちます。きちは夢だった新造らしい丸髷を結い、人生の中で最もきらめく時を過ごします。
しかし、神様は意地悪です。これでハッピーエンドかと思いきや、きちの酒乱が再発し、明治7年に2人は別れてしまうのです。直後、又五郎は謎の死を遂げます。
それからのきちは、自分の事を「生きた屍」と言うようになり、芸者、髪結い屋を経て、安直楼という小料理屋を開業するも上手くいかずに閉店。やはり心のどこかでは又五郎の事を忘れられずにいたのでしょう。
安直楼 (Wikipediaより)
きち47歳の時、長年の飲酒が高じてか脳卒中で倒れ、体がいうことをきかなくなります。借金も返せず、乞食のような風体になったきちは、明治23年、稲生沢川に身投げします。時にお吉50歳。
彼女の遺書には、こうしたためられていました。
「あわれな女と思し召し、私の亡き後の香華の手向けをご無心申し上げます。さらばお達者に過ごされませ。おさらば 乞食婆より」
思いがけないかたちで幕末の波に呑みこまれた佳人は、波路の間の浮き藻の花と消えたのでした。
この話を聞くたびに、幕末で犠牲になったのは有名な志士だけではなく、きちをはじめとする名もなき庶民の人々でもあったということを、私たちは忘れてはいけないと思うのです。
参考文献: 村松春水「実話 唐人お吉」国会図書館蔵
アイキャッチ写真: wikipediaより(着色加工:筆者)
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