どこで違った、二人の道。西郷隆盛と大久保利通の友情と決別 [前編] (2/3ページ)
世間ではこれはお由羅の呪いだと言われ、西郷もそう信じてお由羅と子息の久光を憎みました。
そうしているうちに斉彬は亡くなり、嫡子が早世して居ないために久光の幼い子息が藩主となると、今度は久光が藩主の父(国父)として権力をふるうようになります。
超保守派!島津久光久光は斉彬とは真逆で、非常に保守的な思考を持っていました。しかもその保守っぷりが尋常ではありません。久光は明治の世になっても絶対にチョンマゲを落とさず、それどころか江戸時代の参勤交代と変わらない大行列で東京にやって来て人々を驚かせた、超がつくほどの保守派でした。
せっかく斉彬が力を注いだ技術工場もこの久光によってほぼ全てが閉鎖し、西郷は失意のうちに安政の大獄の余波で遠島になります。
西郷が島流しの間に、大久保は久光に急接近その間に久光に取り入ったのは、なんと西郷の親友の大久保でした。大久保は久光の権力目当てに接近したのです。久光が好きな碁を一生懸命習い覚え、大久保は久光の機嫌取りに必死だったといいます。
一度目の遠島先、奄美大島から帰ってきた西郷は、親友の大久保が久光のお気に入りになっている事に驚きます。しかし斉彬派だった西郷はどうしても久光が好きになれず盾ついて、徳之島、沖永良部島へ二度目の遠島になってしまいました。
もはや大久保との友情もそれまでかに思えましたが、その際に西郷を救ったのは他でもない大久保、その人でした。彼は島にいる西郷が次に戻った時に浦島太郎のような思いをせずに済むよう、島に向けて頻繁に手紙を書き、本国の情勢を伝えました。さらには久光に西郷の必要性を説き、ついに島から呼び戻すことに成功します。
