日本橋なのに長崎屋?平賀源内や杉田玄白も通った江戸の出島「長崎屋」はどんな所? (2/2ページ)
その様子は葛飾北斎の江戸名所絵本『画本東都遊』の中の『長崎屋図』で見ることができます。宿の窓からチラッとだけ見えるオランダ人を、老若男女たくさんの江戸っ子が見上げていますね。
宿の中には多くの舶来品が運び込まれました。あのシーボルトも宿泊したことがあり、彼は小型のピアノを宿の2階で弾いたそう。今まで聞いたこともない音色を聞き付けた江戸っ子たちが、宿に集まったのではないでしょうか。
異国サロンとしての長崎屋に通った、あの人たち好奇心旺盛な徳川吉宗が将軍職になると、それまで禁止されていた洋書(キリスト教関係以外)の輸入が解禁されました。
そこで流行ったのがオランダの学問である蘭学。蘭学を学ぶ人は長崎だけでなく江戸にもいて、彼らはオランダの学問を吸収するために長崎屋を訪問していました。オランダ人と面会した人物の中にはあの平賀源内や杉田玄白がいました。
解体新書 4巻
関東でサツマイモを広めたことで有名な蘭学者、青木昆陽は長崎屋に通い詰めて、日蘭単語集『和蘭文訳』を完成させました。蘭学の祖と呼ばれる杉田玄白は、知人が長崎屋に宿泊していたオランダ人から譲り受けた医学書『ターヘル・アナトミア』を前野良沢らと翻訳して、『解体新書』を完成させました。
オランダ人と江戸の蘭学者の数少ない交流の場でもあった長崎屋は、カピタン一行の宿泊所としてだけでなく鎖国下での異国サロンであり、当時の学問や文化に大きな影響を与える場所でもあったのですね。
画像出典:国立国会図書館デジタルコレクション,British Museum
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