闘将逝く 野球を愛した星野仙一氏の「一世一代の直訴劇」 (2/2ページ)

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 3か月ほど前の同年7月8日、IOCは総会を開き、12年のロンドン五輪から野球・ソフトボールを公式種目から外すことを決めていた。野球は「北京五輪が最後」となり、それに対する抗議だった。
 パーティーを主催した中国の要人たちは同委員長の機嫌を損ねてはと青ざめたが、闘将と呼ばれた男はひるまなかった。アメリカ、日本で野球がいかに愛され、定着した競技であるかを説明し、「オリンピックの企業スポンサーをもっとも集められる両国の国民をガッカリさせたら、盛り上がらなくなる」とも力説した。
 同委員長は通訳を介してだが、故人の訴えに最後まで耳を傾けていたそうだ。「検討してみる」と回答を得るのと同時に故人は「お願いします!」と頭を下げた。同年10月24日、国際野球連盟(IBAF)が五輪野球サミットを開催したが、故人の行動力が契機になったのか、そこにはNPB要人も駆けつけた。次のIOC総会(次年2月)で「見直しの再提議」がされたが、結果は変わらず、今日に至っている。

 関係者がこう続ける。
「当時の故人の肩書は、阪神タイガースのシニアディレクター。IOC委員長と直接話ができる立場ではありませんでした。でも、野球がオリンピックから消えることを黙って見過ごすことができなかったんでしょう。故人の直訴が、東京五輪の追加種目で野球・ソフトボールが復活した下地になったと思いたい…。追加種目とはいえ、IOCは一度消滅させた野球・ソフトを承認しなかったと思います」
 故人が「五輪最後の野球競技」の日本代表監督に決まったのは、直訴劇から1年余が経過した07年1月だった。北京で金メダルを獲ることができなかった悔しさは、故人がいちばん強く感じていたはずだ。2020年、東京五輪での野球・ソフトは故人の眼にどう映ったのだろうか。
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