弘兼憲史×蛭子能収「人生は70歳からが最高だ」(1)デビュー雑誌の原稿料は0円でした (2/2ページ)

アサ芸プラス

「ちょっと東京に行ってきます」って言って、それっきり。

弘兼 アハハハ。24歳の時に「ガロ」(つげ義春ほか、個性的な作家が活躍した漫画雑誌)で漫画を描いてたんですよね。

蛭子 そうなんですよ。

弘兼 「ガロ」って、確か原稿料は出ないんですよね。

蛭子 出ないです。だからバイトしながら。

弘兼 じゃあ漫画家として原稿料がもらえるようになったのはいつ?

蛭子 33歳の時かな。エッチな月刊誌で連載をもらったんですが、必ずエッチなシーンを入れないといけなくて。男女のカラミとか描いたことがなかったので苦労しました。

弘兼 僕も若い頃は写真を見て描いていました。今も「黄昏流星群」を描く時は熟女雑誌を見ていますけどね(笑)。

蛭子 俺も見てます。

弘兼 漫画だけで生活はできましたか。

蛭子 ダメですね。仕事がなかったので、ちり紙交換とかダスキンのセールスマンとかやっていました。ずっと二足のわらじです。

弘兼 でも、今はタレントさんとしても成功されて。こんな感じだから、僕と蛭子さんは接点が全然なかったですね。

蛭子 弘兼さんは別格の存在だと思っていました。

弘兼 作風も違いますしね。漫画が好きというのは共通しているのかな。ところで蛭子さんは、漫画家とタレント、どちらの肩書で呼ばれるのがうれしいですか?

蛭子 やはり漫画家ですね。ただ、俺はお金をもらうところであまり描いてないですから、もう趣味みたいなもんです(笑)。

弘兼憲史(ひろかね・けんし) 1947年山口県生まれ。早稲田大学法学部卒業後、松下電器産業(現パナソニック)勤務を経たのち、74年に「風薫る」で漫画家デビュー。「人間交差点」で小学館漫画賞、「課長島耕作」で講談社漫画賞、「黄昏流星群」で文化庁メディア芸術祭優秀賞と日本漫画家協会賞大賞を受賞。07年には紫綬褒章を受章。現在、「島耕作シリーズ」や「黄昏流星群」を連載中。

蛭子能収(えびす・よしかず) 1947年長崎県生まれ。高校卒業後、看板店、ダスキン配達などの職業を経て33歳で漫画家デビュー。現在、俳優、タレントとしても活躍。主な著書に「正直エビス」「ひとりぼっちを笑うな」「蛭子の論語」など。

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