火星人はいる。1920年代、火星人女性と電信でコンタクトしようとしたロンドンの弁護士

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火星人はいる。1920年代、火星人女性と電信でコンタクトしようとしたロンドンの弁護士
火星人はいる。1920年代、火星人女性と電信でコンタクトしようとしたロンドンの弁護士


 地球人はどうも火星人のことを戦争好きだと考えたがるようで、H・G・ウェルズの『宇宙戦争』や、『火星人地球大襲撃 (1967年)』、『マーズ・アタック!(1996年)』などがそのいい例だ。

 だが、ロンドンの弁護士でショアディッチの元書記官、ドクター・ヒュー・マンスフィールド・ロビンソンにとっては、火星人は平和を望む穏やかな人々だ。

 1920年代、ロビンソンは火星人女性と知り合ったという。テレパシーでやりとりしていたそうだが、彼は次なるステップに進もうと、電信でこの女性とコンタクトを取ろうと試みた。



・火星人女性とテレパシーで通信していたと語るロビンソン

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 20世紀当初、この赤い惑星の住人は身長は2メートル以上り、怖そうな風貌をしているといわれていた。

 だが、ロビンソンによると、それ以外は人間にとてもよく似ていて、家に住み、車を運転し、お茶を飲んだり、パイプをふかしたりといったささやかな楽しみを享受しているという。

 なぜ、ロビンソンがこんなことを知っているかというと、彼は1920年代初頭から、テレパシーで「オーマルル」という名前の火星人女性と通信しているからだ、と本人は主張している。


・20世紀当初、火星人の存在が信じられていた

 1926年3月、ロビンソンは心霊研究者や霊媒師と降霊会を開き、霊媒師が火星人のアルファベットを書き、オーマルルのスケッチを描いた。

 イギリスの新聞、サンデー・リフェリー紙はのちにこのスケッチについて、"彼女は、半笑いしているような口、突き刺すような鋭い黒い目、奇妙な鼻、そして、とても大きな耳をした異様な顔だ"としている。

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 今日ではこのようなことはすべてバカげたことに聞こえるかもしれないが、20世紀が始まった頃は、火星に生命が存在する可能性を多くの科学者が信じていた。

 天文学者が火星に運河のようなものを発見したとき(1877年にジョヴァンニ・シアパレッリによって初めて観測された)、大いに人々の想像力がかきたてられた。当時、電話や無線のようなものが相次いで発明され、かつては不可能に思えたことを科学が可能にしている時代だった。

 さらに、19世紀には、死者と交信するという心霊主義が台頭し、サー・アーサー・コナン・ドイルのような著名人の支持もあって、人々があの世とのやりとりを信じ、夢中になっていた。火星人との接触は、それほど荒唐無稽なことではなかったのではないだろうか?


・1926年、地球から火星へ無線電信を送る

 1926年10月、ロビンソンはオーマルルとの交信をさらに次のレベルに進めようと、郵便局へ向かった。当時、ロンドンの郵政省は、ラグビー・ラジオ放送局を開設していて、地球規模の無線電信の中心地となっていた。

 ロンドン中央電報局で発見されたメモは、ロビンソンが1文字につき1シリング6ペンス(およそ35セント)で標準的な長距離レートでメッセージの電信を手配したことが説明されている。

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image credit:BT Archives

 「ドクター・マンスフィールド・ロビンソンは、このことに相当入れ込んでいる。彼からまた別のメッセージを送ってくれと言われるかもしれない」とメモにはある。

 「こうしたことで料金をとることにわたしたちの良心が咎めるとは思えない。彼は完全に正気で、火星との通信の可能性の研究に生涯を捧げているように見えるからだ」

 1926年10月27日夜11時55分に予定された電送は、ロビンソンに要求されたとおり1万8240メートルの波長を使って行われた。

 そこには、「Opesti、Nipitia、Secomba」という3つの言葉が含まれていたが、意味は不明なままだ。

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image credit:BT Archives

 電信機を持った郵便局の職員が待機して、ロビンソン曰く火星人が好んで使うという波長3万メートルに合わせたが、残念ながら応答はなかった。


・1928年に再び電信チャレンジ

 諦めきれないロビンソンは火星が再び地球に接近するのを2年間待ち、1928年10月に再度チャレンジした。

 今回も、郵便局はロビンソンのメッセージを送るのを引き受けた。残されているメモによると、その理由は「おもにラグビー放送局を無料で宣伝するため」だったという。

 職員たちは、マスコミ報道されれば、広告代に金を使うよりもよっぽど効果的に通信料金を引き上げられると判断したのだ。

 このときは、「M M Lov to Mars x Erthと、M M God is lov」というメッセージが、10月24日午前2時15分に電送された。

 だが、またしても火星からははっきりわかる返信はなにもなかった。

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 ロビンソンは返事がないのを機器のせいにした。当時AP通信社にこのように語っている。

 「郵便局が使用した1万8700メートルの波長は、薄い空気の層という過酷な環境を乗り切ることができなくて、信号が地球のまわりで反射するだけになってしまったのだ。火星人たちは信号が届かないことをとても憂慮していた。彼らは信号を受け取るために何時間もずっと起きて待っていたのに」


・3度目のチャレンジ

 1928年12月、ロビンソンはまたチャレンジした。今度は2万1000メートル以上の波長を備えたブラジルの電波塔を使った。だが、残念なことに、南半球から送っても結果は変わらなかった。

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・テレパシーが世界をより良い場所と信じていた火星人女性

 その後、ロビンソンのこのミッションは1930年1月までなりをひそめていた。無線通信による交信は諦めたようだが、テレパシーでオーマルルとは交信を続けていたようだ。UP通信社のためにオーマルルにテレパシーでインタビューしたと報道された。

 交わされたとされる会話の中で、オーマルルは"テレパシー大学"を開校するよう勧め、「地球の世界平和が薄れていることに失望している」と言ったという。

 テレパシーが世界をより良い場所にするだろうと、オーマルルは信じていたらしい。人類が火星に到達できるだけでなく、地球上での交信を簡単にするのにも役立つというのだ。

 ロビンソンはこれを"進歩における失われた環"だと信じた。彼は間違い電話や話し中の音など、電話の非効率性に不満を感じていて、世界がテレパシーを学べば、いずれそうしたことはなくなるだろうと言った。

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・テレパシーが使える犬を迎えテレパシー大学を開校

 その半年後、ロビンソンが6人の教師とテレパシーが使えるネルという犬がいる、テレパシー大学を開校したとUPI通信が報道した。

 学生団体の立ち上げを支援するために、ロビンソンは最初の7人の学生の授業料を一ヶ月分無料にするとした。

 学生はそれぞれ、完全な貞節を保ち、肉食やアルコール、タバコは禁止、健康を維持し、精神的発展に努めることを要求された。テレパシーの使える犬、ネルの役割についてははっきりしていない。

 記事が描かれた当時、在籍したのはクレアという名前の女学生がたったひとりだったことも伝えている。

 前述の規則を満たすだけでなく、クレアはルールに従い、秘密を守り(合法的な裁判所による強要なしで)、自分の能力を他者の利益のために使うという宣言書にサインした。

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・1933年、テレパシーでクレオパトラと交信したと主張

 その後の学生の集まり具合や成功したかについて、詳細はそれ以上伝わっていない。だが、ロビンソンは1933年にテレパシーでクレオパトラと交信したと主張して、再びニュースになった。

 クレオパトラは農場主の妻になって火星に住んでいるという。ロビンソンの妻はこうしたことをずっと苦々しく思っていたようで、夫が家でこうした実験をすることを許していないとかつて記者に話した。「この家のまわりではバカげたことはまったくないでしょう」

 ロビンソンは数年にわたって、オーマルルやクレオパトラとのテレパシー恋流を続けたが、無線通信は成功することなく、1940年に75歳で亡くなった。

 晩年の数年は、少なくとも妻の希望を尊重したようで、テレパシーは最小限にとどめていたらしい。

References:londonist / mentalfloss/ written by konohazuku / edited by parumo
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