本当に12枚も着物を重ねていたの?十二単はなぜあのような形状になったのか? (2/2ページ)

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ここまで見ても分かるとおり、十二単は必ずしも12枚重ねるものではなく、季節などによって重ねる着物の枚数が増減するものでした。平安時代の作者不詳の歴史物語として知られる『栄花物語』には、華やかに見せようとして20枚の着物を重ね着した女性が、重すぎて動けなくなったという事件が語られています。

「十二単」という俗称は、「たくさんの着物を重ねている様子」と「重ねた着物の鮮やかさと豊かさ」を表現するために、ゴロの良い「12」という数字が使われるようになり、それが一般的になったものと言われています。

着方はユルいけれど、色のセンスがないのはNG!?

さて、現代の「十二単着付け体験」などではかなり手間がかかる十二単の着付けも、当時の人たちの感覚だと「重ねたものをそのまま着脱」という、かなりユルい感覚のものだったようです。

「おひな様」のように、長袴の下に肌着として白の小袖を着るという着付け方は後世になってからのもので、十二単が考案されたばかりの平安時代は、素肌に直接長袴を履いた上に単衣や五衣を重ねていたのです。

そのため『源氏物語』などを見ると、女性が重ねた着物をそのまま脱ぎ捨て、源氏から逃れようとする様子が描かれています。

ただし十二単の袖口や襟元から見えたり、薄物から透けて見えたりする「襲(かさね)」の色目には、季節や行事などによって多種多様な組み合わせの決まりがあり、これを無視していると「センスがない」とされてしまいました。

平安時代の女性貴族たちも現代と同じように、ファッションセンスが重要だったようですね。

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