異色すぎる平安文学「とりかへばや物語」にも登場する女性皇太子は実際に存在した
『とりかへばや物語』の「女東宮」
先日は、異色の平安文学『とりかへばや物語』についてご紹介しました。
男女が性転換して生活?異色の輝きを放つ平安時代の王朝文学「とりかへばや物語」この作品中には、女性でありながら東宮(皇太子)に定められた「女東宮」が登場します。2018年現在の日本の皇室典範では女性天皇は認められていないため、必然的に女性が皇太子になることもできなくなっています。
『とりかへばや物語』が成立した平安時代後期も、藤原氏が外戚政治によって権力を握ったことで幼い皇子が天皇に立てられるようになったたため、奈良時代のように女帝が即位することはなくなっていました。しかし当時は「天皇は絶対に男性でなくては!」というほどの強制力はなく、女性の皇太子が作品中に登場することに対して、あまり違和感がなかったようですね。
日本で唯一。女性皇太子を経て即位した女帝ところで、この女東宮のモデルとなる「女性の皇太子」は、日本の歴史上実在したのでしょうか?
2018年現在、東宮つまり皇太子を経て即位した女帝は、日本の歴史上ただ1人しか存在しません。奈良の東大寺大仏の建立で知られる第45代聖武天皇と、皇后・光明子の間に誕生した阿倍内親王、後の第46代孝謙天皇(重祚して第48代称徳天皇)です。
画像出典:Wikipedia-孝謙天皇
『とりかへばや物語』の女東宮は「他に皇位継承者がいない」というかなり消極的な理由で皇太子となりましたが、阿倍内親王の場合は少し事情が違いました。聖武天皇の子供は阿倍内親王の他に、弟である安積(あさか)親王もいましたが、男子である弟ではなく姉が皇太子に立てられたのです。聖武天皇の在位中には、天然痘の大流行により政治権力を担っていた貴族たちが相次いで亡くなるという緊急事態が発生しました。
そういった事情もあり、皇位の継承を安定させることが急務だったのでしょう。
実在の女性皇太子には、物語とは異なる点も阿倍内親王には、物語の「女東宮」とは大きく異なる点がもう1つあります。女東宮は物語の終盤で、皇太子の位を尚侍となった「姉君」の産んだ皇子に譲って自身は退きましたが、阿倍内親王はそのまま天皇に即位しただけでなく、1度退位した後に再び即位する「重祚(ちょうそ)」まで遂げています。
そして「日本は属国ではない。独立した国家である。」と宣言した推古天皇、「飛鳥浄御原令」「公民制」などを制定し日本の基盤を作った持統天皇などのかつての女帝たちに負けず劣らずの政治手腕を発揮していきました。
『とりかへばや物語』の作者が「女東宮」というキャラクターを考案するにあたり、実際に阿倍内親王=孝謙/称徳天皇を意識していたのかは、今となっては分かりません。しかし「高貴な女性は夫以外に顔を見せてはならない」と言われた平安時代にも、前の時代を強くたくましく生きた女帝に憧れる女性たちは、案外いたのかもしれませんね。
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