「努力」ではなく「博打」で優勝カップをゲットした昭和の子供たち (2/2ページ)

子供たちは優勝カップ欲しさに、なけなしのお小遣いをつぎ込んだのでしょう。
優勝カップやトロフィーに憧れる要因はテレビのスポーツ番組の影響も大きかったと思います。当時、流行していたプロボウリングやプロレスの中継で、一番最後に勝者がピカピカの優勝カップを手にする瞬間、ものすごいカタルシスがありました。
あの、選手たちの高揚した気分が駄菓子屋で努力もせずに味わえるなら、多少の無駄遣いも安いものかもしれません。
もちろん、優勝カップは自分の努力の結果としてもらえるものであって、決してバクチで手に入れるものではないのは言うまでもありませんが(笑)。
そういえば、昔は大きな町にはカップやバッジなどを受注生産する徽章屋さんがあったものですが、最近はめっきり少なくなりました。実利主義一点張りの世の中になり、実用性のないものより、金券や日用品の方がいい、などの理由で優勝カップやトロフィーを贈ることが減ったことも原因だと思います。
世の中が明るくなり、みんなの心も豊かになって、またそういった無駄なものを慈しむ風習が復活することを願わずにはいられません。
(写真・文/おおこしたかのぶ)