三代目・林家九蔵襲名騒動で噴出した海老名家「積年の怨念」 (2/2ページ)
「その後、かねてより稽古をつけてもらっていた二代目・三遊亭圓楽から名を譲られ、三代目・三遊亭圓楽を襲名、真打に昇進したのですが、圓蔵師匠が亡くなってからは、三代目・柳家小さん、四代目・蝶花楼馬楽へと師匠を変えた。そうした中、権力志向が強かった彦六さんは、五代目・柳家小さんの名を弟弟子の九代目・柳家小三治に取られたことから、当時、空き名跡だった林家正蔵を、一代限りの約束で海老名家から譲ってもらったとの話が伝わっています」(ラジオ落語番組関係者)
落語雑誌編集者はこう言う。
「九代目・正蔵が、懇意にしているビートたけしに、彦六さんが根岸の海老名家に来て、日本刀を突き付けて名跡を迫ったというエピソードを語ったことがある。彦六さんは浅草の稲荷町に住んでいたことで“稲荷町の師匠”と親しまれていましたが、一方で喧嘩っ早いことから“トンガリの師匠”とも呼ばれていましたからね。かなり強引だったことは間違いない」
もともと落語協会は、八代目には七代目・正蔵の実子の初代・林家三平を襲名させるはずだったが、時期尚早として見送っていた。結果、三平が正蔵を名乗る日は来なかったのだ。
「三平さんはテレビで大ブレークして落語界に貢献しましたが、彦六さんは、名跡を返して三平に正蔵を継がせるべきだという周囲の声に耳を貸さず、返上したのは三平さんが亡くなった後だった。三平さんの妻、香葉子さんは、そんな彦六さんをいまだに許していないんです」(前出・噺家関係者)
こうした香葉子さんと長男の正蔵の積年の恨みが、今回の九蔵の襲名にあたり噴出したというのだ。
「好楽が根岸で海老名家と3時間にわたって話し合いをしても、襲名に賛同を得ることはできなかったといいます。好楽は、そのまま襲名を通すことも考えたそうですが、『落語の世界で一度、ゴタゴタした名前はよくない。かわいい弟子の門出だし、将来を考えて、好の助のまま真打ちに昇進させることを決めた』と語っている。結局、襲名を断念したのは海老名家の心情を理解したためかもしれません」(席亭関係者)
ただ、襲名前に予定していたパーティーの招待状は発送済み。のぼりや後ろ幕、手ぬぐいや扇子なども「三代目・林家九蔵」で発注していたが、作り直すことになったという。一方、3月9日には香葉子さんが正蔵と共に、東京・上野にある東京大空襲の被害者の慰霊碑を訪問。報道陣からの襲名問題についての問いかけに2人は終始無言を貫いた。
「3月5日、好の助は墨田区で行われた両国寄席に出演し、これが襲名取りやめ報道後、初の公の場となったが、好の助が高座に上がると盛大な拍手と激励の声が飛んでいました。好の助としては、トバッチリを受けた格好ですが、落語界に身を置く限り、そうした過去の怨念には抗えないということです」(同)
洒落にならないドロドロ劇で“どうもすいません”。