才色兼備の頼れる女性!幕末に翻弄されながらも気高く生きた会津の「松平照姫」 (2/2ページ)
(画像出典:松平照/Wikipedia)
彼女が会津藩の若松城に入ったのは、鳥羽・伏見の戦いの後のこと。藩主となっていた松平容保の正室の敏姫が1861年に亡くなっていたため、城内で最も身分の高い女性だった照姫が、若松城籠城戦の際に城内の女性たちをまとめ、後方支援に尽力しました。
降伏・開城後は紀州藩邸にお預けとなった後、実家の飯野藩邸に預け替えとなり、1884(明治17年)2月に東京で亡くなっています。享年51歳でした。
照姫は美人で、更に書道・茶道・和歌などの教養にも秀でた女性だったといわれています。現代でも美人で頭も性格も良い女性がなかなか良いご縁に恵まれない例を目にしますが、照姫も理想的な女性だったにもかかわらず、若くして離婚した後は再婚していません。子宝に恵まれなかったとはいえ、夫との夫婦仲は決して悪くはなかったということで、彼女の離婚の理由は謎とされています。
照姫さまの感動的エピソード才色兼備だったといわれる照姫には、若松城籠城中の感動的なエピソードが残っています。
照姫率いる城内の女性たちは、負傷者の手当・炊事・消火活動・弾薬の製造などを担当していました。戦いが激しくなり、城内の包帯がなくなると、照姫は自分の高価な着物や帯をほどいて包帯の代わりにするようにと指示したのです。
1868(明治元)年9月22日に城門に掲げられた降伏の白旗も、照姫が女性たちとともに縫ったものといわれています。
戦場となった会津で、幕末という時代に翻弄されながらも気高く強く生きた照姫は、城内の女性たちが「照姫さまのために」とついていきたくなるような、頼れるリーダーでもあったのです。
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