天才テリー伊藤対談「小林克也」(1)プレスリーのマネに夢中になって… (2/2ページ)
だって僕もラジオは好きでしたけど、まったく英語しゃべれないですよ(笑)。
小林 僕らの時代は戦争に負けて日本に何もない時代でしたから、テリーさんの世代とはちょっと違うかもしれないですね。英語を聴いていると、アメリカのきらびやかな生活や物質的な豊かさを感じることができたんですよ。
テリー ああ、そういう憧れもあって。
小林 そうですね。もちろん、音楽も好きでしたけどね。エルヴィス・プレスリーとか。
テリー やっぱり衝撃的でした?
小林 初めて聴いた時のことは覚えてますね。「ハートブレイク・ホテル」でしたけど、何か嵐のように去っていった感じで、最初は何だかよくわからなかったんですよ。で、2回目に聴いて、「あ、これだ」と。それでその曲が流れるのを待つようになるんです。そうすると2、3週間後に新聞に「アメリカでプレスリーがPTAに大反感を食らっている」みたいな記事が出たりしてね。
テリー 向こうでは、もう社会現象になっている。
小林 それで2~3カ月もすると周りに似たような格好をしたヤツが出てくるんですよ。その頃はもうクラスに1人、リーゼントしてるヤツがいましたからね。進学校でしたから、あんまりいい顔されなかったですけどね。
テリー フフフ、まずは格好から入りますよね。
小林 それが始まりです。1年もすると歌詞が載った本が発売されて、ヒアリングでははっきりしなかった歌詞がわかるようになる。そうなるとすごくうれしくなって「俺、プレスリーに似てんじゃないか?」とか思いながら、家のホウキをギター代わりに持ってプレスリーになりきって歌うんです(笑)。内田裕也さんや、かまやつひろしさんも「やった」って言ってましたけどね。
テリー 僕もやっていましたね(笑)。でも当時、プレスリーはそのぐらい影響力がありましたよね。そうすると、小林さんにとってはラジオとプレスリーが英語の先生ですね。
小林 そうですね。英文法なんて面倒くさいと思っていたし、英語の授業は全然楽しくなかったですから。でも「俺のほうが英語の教科書より先に行ってるぞ」みたいな自信はあったんですよ(笑)。おかげで、英語の成績だけはずっとよかったですね。