室町時代を築いたレジェンド・足利尊氏の生涯に迫る!その1

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室町時代を築いたレジェンド・足利尊氏の生涯に迫る!その1

近年、『信長のシェフ』や『忍たま乱太郎』など室町時代を扱った漫画が読まれ、中公新書の『観応の擾乱』がベストセラーになるなど、室町時代が注目されています。その室町時代を築いた立役者が、今回紹介する室町幕府の初代征夷大将軍・足利尊氏です。数回に分けてその生涯について紹介させて頂きます。

騎馬武者象、新発見の肖像、どれが本物なの?

足利尊氏とされてきた騎馬武者像

尊氏を語るに欠かせないのが、彼を描いたとされる肖像画です。少し前までの歴史教科書には、“ざんばら髪で太刀を担いだ甲冑姿の騎馬武者”の、たくましくワイルドな風格のある像が尊氏とされてきました。

一方、浄土寺(広島県)や安国寺(大分県)に保存されている木像、肖像は柔和な表情で公家風の衣冠で身を固め、名門生まれのカリスマを誇った尊氏の面影を今に伝えていると評されてきました。一体、どちらが尊氏なのでしょうか?

そうした疑問に終止符を打つと噂されたのが、2017年に見つかった肖像画で、尊氏の死後間もなく書かれた像の写しであると言われています。また、騎馬武者像は家紋から足利家の家臣・高師直(こうのもろなお)であるとされ、今では殆ど尊氏像として教科書に載る事は無くなりました。

なお、余談ではありますが新しい尊氏像は大河ドラマ『太平記』で尊氏を演じた真田広之さんにそっくりだと話題になっています。気になる方は、見比べて見るのも面白いかも知れませんね。

祖先代々の夢を叶えよう…尊氏は少年時代からカリスマを発揮していた

等持院に現存する尊氏の木像

少し遅くなりましたが、本題に入ります。足利尊氏は1305年7月27日、鎌倉幕府に仕える御家人である足利貞氏の次男・又太郎として、母方の実家がある上杉荘(京都府)で誕生しました。成人後、又太郎は主君である北条高時執権から一字を賜って、高氏と名乗ります(以下、高氏で表記)。

高氏には幼少期から伝説が多く、『難太平記』と言う書物によると、彼が生まれた時に山鳩が肩に1羽、もう1羽が産湯に使う柄杓に止まったと記されています。ハトは武の神である八幡神の使いとされており、これは高氏が天下人になる前兆と言われました。

また、足利の祖先は源氏の英雄・八幡太郎義家で、“7代後の子孫になり、私は天下を取る”と言う言い伝えがありました。しかし、義家から7代目にあたる高氏の祖父・家時はそれが出来ないのを恥じて自害(※1)し、その夢を叶えるために高氏は天下取りの夢を抱いたとする伝承もあります。

いずれにしても、こうした逸話は源氏の名門として名高い足利氏の嫡男である高氏がカリスマ性に富んでいたこと、そして衰退する北条氏に代わって足利氏が期待されていた事を如実に示すものでもあります。

親の喪中に出陣命令!北条の圧政に源氏はついに立ち上がる

神護寺の尊氏肖像。平重盛説もある

1331年に父貞氏が亡くなり、それに先立って兄も死んでいた事から高氏は足利の当主になります。その頃、後醍醐天皇が討幕計画を決行していたため、高時は高氏に出撃命令を出しました。高氏は喪中であった事から戦を断りますが、北条の縁者を妻にしていたことや圧力をかけ続けられたことなどで逆らえず、渋々出兵することとなります。

高氏は後醍醐天皇、楠木正成らを相手に源氏の名に恥じぬ強さで戦い、見事に勝利します。が、嫌々ながらの出陣であったために朝廷への謁見もせずに鎌倉へ帰り、上皇にも呆れられてしまいました。しかし、その強さと飾り気のない人柄が高氏の周りに多くの人を引き寄せ、強い原動力を生むのです。

(※1)北条時宗に殉死した、内乱を起こした親族に連座したと諸説あり。

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