天才テリー伊藤対談「川中美幸」(3)辛い頃は母の言葉に救われましたね (2/2ページ)
川中 もず先生から「演歌というのは、ある程度の年齢を重ねないと、人の心に伝わるように歌えない。これからだぞ」と、連絡をいただいたんです。先生がわざわざ、そこまでおっしゃってくださるなら、もう一度挑戦してみよう、と思ったんです。
テリー それ、正解でしたよね。川中美幸になってからは、トントン拍子で。
川中 「ふたり酒」のヒットまで3年かかりましたけども、再デビューの時は成人していますし、一度挫折してますから、やっぱり心構えが違いました。「歌がうまいだけで売れるほど、世の中は甘くはない、プロの世界は厳しい。家も簡単に建たないぞ」と(笑)。
テリー そういう意味で考えると、挫折を経験していなければ「ふたり酒」の大ヒットもなかったかもしれないですね。
川中 そうですね。実は最初、あの歌はあまり好きではなかったんですよ。だいたい24歳で「生きてゆくのがつらい日は/お前と酒があればいい」みたいな世界がわかるわけがないじゃないですか(笑)。25歳まで頑張ってダメだったら歌手を辞めようと思っていたので、母に電話して「この歌売れへんかったら、戻ってお店手伝うわ」って言っていたんです。
テリー ああ、当時はそんな心境だったんですか。
川中 ところが電話口で歌って聴かせたら、母が泣いたんです。母もずっと苦労してきた人ですから、歌の女性と自分が重なったんでしょうね。それで「何を勘違いしていたんだろう。私は両親の代弁者になって歌えばいいんだ」と、気持ちを切り替えたんです。歌が母に届いたことで「きっと売れる」という確信も持てました。