まさに荒行!江戸時代の旅行では1日40㎞も歩く旅人もいた。江戸時代の旅行事情【1】 (2/2ページ)
このような気前の良い大盤振る舞いを見ると、参詣者だけではなく周囲の人々も巻き込んだお祭りのような感覚だったのだと思われます。
伊勢への参拝者の数は多い時で年間総人口の1割以上となり、1日だけで十五万人弱の人が伊勢に訪れたという記録も残っています。
お伊勢さんまでの旅路、東海道ってどれくらいの長さ?初代将軍家康の時代、幕府は東海道のルート上に53箇所の宿(しゅく)と呼ばれる休憩場所を設置しました(※大坂まで伸ばすと57)。この休憩場所は宿駅とも呼ばれますが、宿場と呼んだ方が馴染み深いかと思います。
東海道は江戸から尾張を通って京都まで続き、その長さは126里6町で、メートル法に換算すると約494㎞。整備などにより時代によって度々ルートが変わるため、この数字は資料によって異なります。
当時使われていた長さの単位間の関係と換算値はこちらの通り。
1里=36町=約4㎞(3927メートル)
1町=約109メートル
宿場と宿場との距離は様々で、歩いて半日程掛かる16㎞以上離れている場所もあれば、2㎞弱ほどの走って数分の場所もありました。
江戸時代の旅人は1日約30~40㎞も歩いたと言われています。宿場間の距離は平均して3~4㎞程しか離れていないため、極端に遠い宿場や途中に難所が無い限りは、江戸時代の人達と比べて足腰の弱い現代人であっても余裕で辿り着けそうな距離でした。
将軍の身長で東海道の長さを測ってみた江戸時代後期の成人男性の平均身長は155cmと言われています。歴代の将軍の身長は、初代家康:159cm、二代目秀忠:160cm、三代目家光:157cm、四代目家綱:158cm、五代目綱吉:124cm、六代目家宣:156cm、七代目家継:135cm、八代目吉宗:156cm、九代目家重:151cm、十代目家治:154cm、十一代目家斉:157cm、十二代目家慶:154cm、十三代目家定:145cm、十四代目家茂:152cm。
大樹寺にある位牌が、十五代目慶喜を除く各将軍の身長に合わせて作られていると言われています。そのため徳川慶喜の身長データは残されていません。
十五代目慶喜を除く徳川歴代将軍14人の身長合計は約21.18メートルです。
この14人を”気をつけ”の姿勢の状態で縄で縛り、横に並べてみます。それを1セットとして東海道(京~江戸間)に並べてみた場合。2万3千324セットの将軍が必要となります。その数32万6千536人。徒歩で移動するには途方も無い距離に感じられます。
昔の人は東海道約494kmを1日辺り約10時間、15日ほど掛けて踏破していたようです。帰路を考えると2倍の距離になり、現代人にはとても真似できない荒行に思えてしまいます。
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