弟、側近、子供までもが敵になり…。室町時代を築いたレジェンド・足利尊氏の生涯に迫る!最終章 (3/3ページ)

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悪か正義か?尊氏と室町時代の真の姿は、これから明らかになっていく

足利尊氏の墓

天下が二つに分かれた時代の一因となっただけあり、尊氏は二通りの評価がなされます。夢窓疎石(むそそせき)と言う北朝の禅僧は、「死を恐れぬ勇気、人を許す慈悲、物惜しみしない心の広さ」を称えました。つまり、お人好しで豪快な親分肌のリーダーだったと言うことです。

敵対した南朝の貴族・北畠親房は、その人望と力が脅威をもたらした尊氏を嫌い、「アイツは前代未聞の盗賊」と自らの著作『神皇正統記』で糾弾しています。こうした尊氏に対する二つの見解は、人物に対する評価が政治権力や時代の風潮で変わる典型例であり、近代以降は後者が絶対視されるようになりました。それは倒幕の志士達が建武の新政を理想としたためで、建武政権に反逆した尊氏の墓や木像が破損される事件も起きました。

それでも明治期の研究や教育では、建武政権の失政と尊氏決起の理由をきちんと書籍に記していたのですが、国策教育で南朝正統論が広まるに従って南北朝時代を論じることすら困難になり、尊氏は絶対的な悪人とされ続けました。そうした不遇の時代は終戦と共に終わり、南北朝時代と尊氏の関心は明治期のような自由性と共に甦ります。

真田広之さんが尊氏役を演じた大河ドラマ、その原案となった吉川英治さんの小説が人気を博した事や、児童書に足利氏が取り上げられるなど、室町時代は近年になってから再評価と研究が急激に進み始めました。第一項で紹介した著作『観応の擾乱』もそのひとつです。

そのレジェンドと言っても差し支えない人望と勇気で室町時代の基礎を築いた足利尊氏は現在、京都の等持院に葬られています。そして、彼のように悩みながらも懸命に生きる私たち日本人を、あの頃と変わらない情け深い眼差しでこれからも見守り続けていくことでしょう。

画像:Wikipedia『天龍寺』『足利直冬』『足利尊氏』より トップ画像:月岡芳年「大日本名将鑑 足利尊氏」より部分

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