さまざまな歌集にも入集。武士「平忠度」は風流を愛し、和歌を愛する文化人でもあった (2/2ページ)

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是に候巻物のうちにさりぬべきもの候はば、一首なりとも御恩を蒙ッて、草の陰にてもうれしと存じ候はば、遠き御まもりでこそ候はんずれ」

「平家物語」(校注・訳:市古貞次「新編日本古典文学全集」/小学館より)

平家一門はもはやこれまで、自分も明日も知れぬ身でありながら、忠度は「世が治まって勅撰集編纂の沙汰があれば、自分の歌を一首でも勅撰集に加えてくれませんか」と師匠に頼みに来たのです。

俊成は、忘れ形見をいただいた以上は決していい加減には扱わないといい、涙ながらに忠度を見送りました。

「千載和歌集」へ入集

そののち、俊成は「千載集」の選者として忠度の和歌を一首選んでいます。忠度が持ってきた巻物の中には他にたくさん勅撰集に入れてもいい和歌があったといいますが、忠度は勅勘を被った人物です。俊成は作者の名を明らかにはせず、「読人知らず」として和歌をいれました。

その歌は、「故郷花」という題で詠まれた

さざなみや志賀の都はあれにしをむかしながらの山ざくらかな

「平家物語」(校注・訳:市古貞次「新編日本古典文学全集」/小学館より)

という歌でした。

その後いくつかの勅撰集に忠度の和歌が入集

「千載集」に和歌がとられたのは、決して俊成が忠度に同情したから、というだけではありません。忠度は確かに和歌の才能がある人だったのです。「千載集」以降も十首以上の和歌が勅撰集に入集しているのです。

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