恋?それとも戦略?枕草子のやりとりを探る:歌人で美男子 藤原斉信 編
「枕草子絵詞」(部分)
平安中期の随筆「枕草子」は、中宮定子に仕えた清少納言の筆による作品です。
ずっと聞けなかった…。で、枕草子の「枕」とは結局どういう意味なんです?随筆とはいわば日記のようなものでもあり、清少納言が思ったこと、見聞きしたことを綴っている作品。
ただ、この作品を単純に清少納言の「私的な日記」と捉えることはできません。以前紹介したように、清少納言に紙を渡して「枕草子」執筆のきっかけを作ったのは主人の中宮定子。作品が定子サロンでのできごとを中心に展開することからも、この作品が主人・定子の記録であることは間違いないでしょう。零落の一途をたどりながらも、定子の輝かしい姿を記録する、そういう役割があった作品なのです。
さて、「枕草子」には作者である清少納言と数々の男性貴族とのやりとりも描かれています。恋の駆け引きともとれるような内容も多いですが、上で紹介したような作品制作意図をふまえて読んでみると、「どっちなの?」と疑問に思うでしょう。
果たして恋なのか、それとも定子さまを持ち上げる要素のひとつだったのか……。
それでは紹介していきましょう。
歌人で美男子だった頭中将・藤原斉信藤原斉信(ふじわらのただのぶ)とは、平安中期の公卿であり歌人。藤原北家の生まれで、父は太政大臣・藤原為光です。蔵人頭をつとめた後、正二位の大納言となります。藤原公任・藤原行成・源俊賢と並び、一条天皇時代に活躍した四納言として知られています。
高貴な身分で文化人。おまけに美男子。花形の近衛中将だったため、宮廷の女官たちにも人気だったとか。
斉信は蔵人頭をつとめていたころ、中宮定子のサロンとも親しく交流していました。紹介するのはそのころの清少納言とのかかわりです。
「枕草子」の「故殿の御ために、月ごとの十日」の段にこのようなやりとりがあります。
わざと呼びも出で、会ふ所ごとにては、「などかまろをまことに近く語らひたまはぬ。さすがにくしと思ひたるにはあらずと知りたるを、いとあやしくなむおぼゆる。かばかり年ごろになりぬる得意の、うとくてやむはなし。殿上などに、明け暮れなきをりもあらば、何事をか思ひ出でにせむ」
「枕草子」(校注・訳:松尾聰・永井和子「新編日本古典文学全集」/小学館より)
これは斉信が清少納言を呼び出して言った言葉です。「なぜ私と本気で親しく付き合ってくれないのか。これほど長年のなじみなのに、このままよそよしくしていることもないでしょう。今後殿上の間に顔を出せなくなったら、私はいったい何を(あなたとの)思い出にすればいいのでしょう」という内容。
男女の仲をほのめかしている表現ですね。
これに対して清少納言は、
「さらなり。かたかるべき事にもあらぬを、さもあらむ後には、えほめたてまつらざらむが、くちをしきなり。上の御前などにても、やくとあづかりてほめきこゆるに、いかでか。ただおぼせかし。かたはらいたく、心の鬼出で来て、言ひにくくなりはべりなむ」
「枕草子」(校注・訳:松尾聰・永井和子「新編日本古典文学全集」/小学館より)
と答えています。内容は、「言うまでもないことです。親しくなることは決して難しくはないけれど、仮にそうなったとしたら今後あなたさまをおほめすることができないのが残念です。今主人の前であなたさまのことをほめているのに、どうしてそんな親しい仲になれましょうか。ただ今の関係(精神的な親愛)でいてください」というようなもの。
「なぜ恋人になってくれないの?」と言う斉信の言葉を、「そんな関係になったらあなたを表立って褒められないじゃない」とスマートにかわす清少納言。
いかがですか?二人はまるで恋愛関係にあるように見えますよね。でもこのエピソードが「枕草子」で紹介されたのは、「定子さまに仕える私はこんな貴公子とも対等に渡り合っている」というアピールともとれます。
単純に表面的な意味だけではく、二重におもしろい作品です。引き続き斉信とのエピソード含め、他の男性とのやりとりも紹介していきます。
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