何故日本人は「千羽鶴」を送るのか?実際送った人を参考に考えてみた。 (2/2ページ)
当然ながら、千羽鶴をどの意味でとらえるかは、それぞれの人にとって異なるでしょう。しかし、受け取る人のことを思って折っているということに変わりはないでしょう。
-被災地に千羽鶴を送るのはどうなのか
ネット上では、被災地に千羽鶴を送ることに対する意見が飛び交っています。被災された地域、そこに住んでおられる方々の現状や心情を考える時、何か自分あるいは自分たちにできることはないだろうかと考えるのは極々普通のことでしょう。ボランティアとして参加したい、支援物資を送りたい、千羽鶴を送りたいなど色々な考えが頭の中に浮かんできます。どの人の考えも善意から生まれてくるものでしょう。
でもここで忘れてならないのは、これらの善意を受け取る側(県・市・町・個人)の状況を理解することです。受け取る側は、善意を有難く思っているでしょう。でも、すべてのものを受け取ることは可能なのでしょうか。あなたのところにいきなり色々な物が送られてきたらどうでしょうか。いきなり大勢の人が、「何かお手伝いしますよ。」といって現れたらどうでしょうか。
あらかじめわかっていれば、スムーズに好意を受け取ることができますが、そうでない場合はとても困った状態になります。それは被災地の側でも同じことではないでしょうか。ましてや被災地は個人ではありませんから、送られてくる物の量は大量です。また、必要なものは日々変わって来るでしょう。受け取る側は、全体を見通して整理していかなければなりません。送る側はそのことを十分に考慮する必要があります。
では千羽鶴を送ることについては、どのように考えたらよいでしょうか。送ろうと考える人は、被災地の方々を励ましたい、1日も早くいつもの生活に戻れるようにという願いを伝えたいと考えているのでしょう。確かに願いの込められた千羽鶴を見ることによって、慰められ励まされる人はいるでしょう。そのことは決して否定しません。
しかし、今は、現状回復に必死になっているときです。浸水被害のために泥まみれになった家屋・家財を炎天下の中で必死に片づけている人々の姿で一杯です。洗って再度使用できるのならばまだしも、再利用できないのならば処分しなければなりません。処分する場所や費用は計り知れないでしょう。
千羽鶴に込められた気持ちは有難く思うでしょう。しかし、今は、それを受け取るだけの余裕があるのでしょうか。自分の思いだけではなく、受け取る側の状況を理解することも必要だと思うのです。どうしても送りたいという人は、その自治体なりに連絡をして受け取ってもらえるかどうかの確認をしてはどうでしょう。被災にあって心細い思いをしている人の中には、千羽鶴によってかなり癒されるということも考えられます。
西日本豪雨がもたらした災害は甚大なものでしたが、ネット上では、「被災地に送る千羽鶴は善意か無駄か」という議論 が激化しているようです。
(秒刊サンデー:わらびもち)