蟄居、島流し、切腹など江戸時代の武士への刑罰にはどんなものがあったの? (2/3ページ)

Japaaan

実は蟄居は「蟄居・蟄居隠居・永蟄居」の三段階あります。

屋敷内の一室に自ら閉じこもり、髪結いもひげ剃りも入浴もせず、室内から一歩もでません。例外は便所のみで、食事は家族が運びます。慶喜のように、反乱や反逆の意志がないことを示すために自発的に行う者もおりました。

蟄居隠居は家督を譲り当主としての権限を一切失うことです。ただし、家禄や武士としての身分はそのままです。

永蟄居は改易一歩手前の終身刑のようなもので、座敷に牢格子をはめられることもあり、一歩も外出できません。

こうしてみると、隠居は家禄が維持される点で悠々自適の生活を送れるイメージがありますが、一度隠居すると二度と復職できません。失態や失政などで、若いのに強制的に隠居させられた場合、武士としての人生は終わったものと同然。そのように考えるとやはり酷な刑と言えるでしょう。

これら自宅での監禁刑には、当然ながら門番が交代で見張りにつきました。

預かり(あずかり)

幕府が大名に預けて罪人を禁固刑にすること。原則として御目見以上かつ500石以上の武士が預かりになりました。食事など身の回りの費用は、預かった家が全て負担します。

禁固刑なので罪人は座敷、または牢座敷から一歩も出てはいけません。しかし、有名な赤穂浪士事件で大石内蔵助らを預かった細川家のように、温情をかけて客人のように扱うケースも稀にありました。

改易(かいえき)

蟄居より重く切腹より軽い刑で、武士の身分を剥奪されて家屋も没収されます。
元々有していた家屋や土地の近くにも住むこともできませんが、その距離は一律に決まってはいませんでした。

切腹(せっぷく)

言わずもがな、「ハラキリ」として海外でも知られている行為です。武士が体面を重んじ、罪を認めて自らを裁きます。上半身をはだけ、晒しを巻いた腹に抜き身の短刀を突き立てます。そのまま腹を真一文字に切り裂き、介錯を待ちます。

武士にしか許されていない独特の行為のため、切腹を赦されず斬首されることが一番不名誉なことでした。

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