なんと生後7ヶ月で即位!?摂関政治と院政期に現れた幼すぎる天皇たちまとめ

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なんと生後7ヶ月で即位!?摂関政治と院政期に現れた幼すぎる天皇たちまとめ

摂関政治と院政期に現れた「幼い天皇」

古代の天皇には、年齢・政治能力・経験などをはじめとする「即位の条件」がありました。これらを満たしていないと、身分・立場的には適任であっても天皇にはなれませんでしたし、反対に満たしていれば女性でも即位することができました。

ところが平安時代に入り摂関政治の時代になると、幼い天皇を即位させ、その生母の父(天皇の外戚)が実質上の政治を行うという例が増加します。そして院政期になると、天皇の外戚に代わり前の天皇(上皇)がその役割を果たすようになりました。

今回は、そんな時代に「最も幼くして即位した天皇」を3人ご紹介します。

第3位・四条天皇(第87代)

四条天皇は、後堀川天皇の第1皇子として寛喜3(1231)年2月12日に誕生しました。
その年のうちに皇太子に立てられ、翌年にはわずか満1歳7ヶ月で天皇に即位しています。

画像出典:Wikipedia/四条天皇

しかし在位中の仁治3(1242)年に、宮中での転倒事故が原因で突然崩御されました。10歳でした。

四条天皇は崩御の前年に女御(皇后・中宮に次ぐ妃)を迎えていましたが、まだお互い子供だったために皇子はいませんでした。

四条天皇に男子の兄弟はなく、父である後堀川上皇の兄弟も既に出家していたため、ここで後継者問題が起こり、最終的に皇統が後鳥羽上皇の系統に移る事態となりました。

第2位・安徳天皇(第81代)

「壇ノ浦の戦い」で平家一門とともに海に沈んだ安徳天皇は、治承2(1178)年11月12日(新暦の12月22日)に高倉天皇の第1皇子として誕生しました。

画像出典:Wikipedia/安徳天皇

母親が平清盛の娘・徳子(後の建礼門院)だったこともあり、生後まもなく皇太子に立てられ、治承4(1180)年に数え年の3歳、満1歳4ヶ月で天皇に即位します。

寿永2(1183)年に平家一門に連れられて安徳天皇が都落ちすると、都では彼の異母弟の後鳥羽天皇が即位し、歴史上例のない「同時に2人の天皇が並立する」という珍事に。この状態は、安徳天皇が祖母の二位尼(平時子)に抱かれて壇之浦に沈む寿永4(1185)年4月まで続きました。

安徳天皇の崩御された年齢は数えで8歳、満6歳。幼くして政治権力に振り回された、歴代最も短命の天皇でした。

第1位・六条天皇(第79代)

六条天皇は、長寛2(1164)年11月14日(新暦の12月28日)に誕生しました。

父・二条天皇が病に倒れたため、万永元(1165)年6月25日(新暦の8月3日)に親王宣下を受けた上で皇太子に立てられ、同日に天皇に即位しました。この時彼は数え年の2歳、満年齢ではなんと生後7ヶ月と11日!まだ赤ちゃんでした。そのため、即位式の途中で天皇が泣き出して中断し、乳母が授乳という驚きのエピソードも残されています。

赤ちゃんの天皇では当然政務が行えるはずもなく、外伯父の近衛基実と邦綱が摂政として実務を取り仕切りました。在位2年8か月で後白河上皇の意向により、高倉天皇に譲位して上皇となりましたが、 これまた歴代最も若い上皇でした。

幼くして時代の荒波の中に飲み込まれていった天皇たちのことも、日本史を語る時にはぜひ思い出したいものですね。

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