プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「ドリー・ファンク・ジュニア」並の常識では測れないグレート・テキサン (2/2ページ)

週刊実話

しかし、そんな空気を一切感じさせることなく“名勝負”に仕立て上げ、同様のスタイルで4年3カ月にわたって王座を守り続けたドリーは、やはり歴代でも指折りの名王者だったといえるでしょう」(同)

 ドリー以降でNWA王者を長期間務めたハリー・レイスやリック・フレアーが、反則やリングアウトでお茶を濁す試合が多かったことを思えば、いかにドリーが特別な存在であったか分かるだろう。
 余談ながら劇画版『タイガーマスク』でタイガー最後の相手を務めたのも、当時の“最強王者”ドリーであった(タイガーのコブラツイストを逃れるため、レフェリーに手を出しての反則負け)。

 全日本プロレスにレギュラー参戦するようになってからのドリーは、やんちゃな実弟・テリーの人気が高まるにつれて、その保護者的な役割を担うことになった。アブドーラ・ザ・ブッチャー、ザ・シークらの反則にキレて暴れる弟を陰から支える賢兄。そんな姿を見るにつけ、面白味の薄い正統派と感じていたファンもきっと多いだろう。
 しかし、ドリーの本領はそんな一面だけで語られるものではない。全盛期のブルーザー・ブロディとインターナショナル・ヘビー級王座をめぐる抗争を繰り広げたのは、ドリーがすでに選手としての峠を越えた40歳以降のことであった。

 そのときには、ドリー救出のために乱入した実の息子(素人の大学生)が、ブロディの必殺技キングコング・ニードロップを受けて大量吐血するという、当時としてはかなり斬新なアングルまで仕組んでいる。
 「息子をリングに上げるなどは『普通に闘ったのでは面白くない』というようなもので、ブッカーも務めていたドリーに対して、全日側からそんな提案はできるわけがない。よって息子の敵討ちのためドリーが大暴走し、反則負けでブロディにタイトル移動というのは、ドリー自身の発案であったと考えられます」(同)
 この流れから見えてくるのは“ドリーの発想の大胆さ”であり、ベテランになってもなお一騎打ちでやすやすと負けることを拒むプライドの高さではないか。

 2008年にいったん日本での引退試合を行いながら、喜寿を迎えた今もなお現役を続けている(日本での直近の試合は2014年=73歳)。
 そんなところを見ても、やはり一時代を築いたこのレジェンドレスラーは、並の常識で測れない特別な存在なのである。

ドリー・ファンク・ジュニア
1941年2月3日、アメリカ合衆国インディアナ州出身。身長190cm、体重115kg。得意技/スピニング・トーホールド、エルボー・スマッシュ。

文・脇本深八(元スポーツ紙記者)

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