天才テリー伊藤対談「長与千種」(2)全盛期はほぼ毎日試合していたの!? (2/2ページ)

アサ芸プラス

じゃあ、舞台は長与さんに向いていたんだ。

長与 基本、舞台もプロレスもライブなので、抵抗は全然なかったです。

テリー やっぱり長与さんは肝が据わっているよ。その前には、ライオネス飛鳥さんと組んだ「クラッシュギャルズ」で大人気だったけど、当時は大変だったでしょう?

長与 そうですね。とにかく忙しくて、覚えているだけで年間最高310試合もやったんですよ。

テリー うわー、ほぼ毎日じゃないですか。

長与 地方・海外巡業も多くて、家にいないことのほうが多かったですし、当時の若い人たちが楽しむようなことは一切経験していないです。

テリー あの頃は全日本女子プロレスの道場が目黒にあって、いつもすごい数のファンが取り囲んでいたよね。

長与 そうです。自分たちが出させていただくようになってから、事務所も様変わりしていきました。新しくビルも建ちましたし。

テリー そりゃ、相当、儲かったんだね。

長与 だと思います。会場は毎回ソールドアウトでしたし、85年に日本武道館でやった時は、会長が控え室にいらして「物販が、アッという間に1500万売れちゃったよ」ってうれしそうに言っていましたからね(笑)。でも、最近「当時これ買ったんです」っていろんなグッズを見せていただく機会があるんですが、一切知らなくて(笑)。

テリー あらら。じゃあグッズのお金は入ってこなかったんだ。全盛期の年収はどれぐらいでした?

長与 全日本女子プロレスって、どんぶり勘定なんですよ(苦笑)。儲かったらドーンとくれるんですが、月給は決まってなくて、1試合5万円ぐらいの時もあれば、100万円っていう時もありましたしね。

「天才テリー伊藤対談「長与千種」(2)全盛期はほぼ毎日試合していたの!?」のページです。デイリーニュースオンラインは、リング・リング・リング週刊アサヒ芸能 2018年 7/26号長与千種プロレステリー伊藤スポーツなどの最新ニュースを毎日配信しています。
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